こんにちは。めがね税理士の谷口(@khtax16)です。
最近「比べるのは他人じゃなく過去の自分」という意見をいろいろなところで目にしたので、禅の考え方をもとに自分なりの意見を書いてみました。
目次
人と比べなくていい
まわりを見てみたら、すごい人、できる人、憧れる人、たくさんいますよね?
その人を見たあと、自分を振り返ってみると、全然できてなくて落ち込んでしまう……
ぐうたらしやがって、もっとやる気出せ、あの人を見習え……
でも、人は人、自分は自分。だから比べる必要はないんです。
あなたの憧れているあの人も、あなたを見て「すごいなあ」って思ってくれていることだってあるんです。
だからまわりをつい見てしまうときは、一旦立ちどまって、目を閉じて、息を吐いて、吸って、深い呼吸をゆっくりとくり返してから、顔を上げてみましょう。
じゃあ過去の自分と比べる?
「比べるのは他人じゃなく過去の自分」という意見もあります。
これはこれでとてもいい考えだと思いますが、私は賛成しません。
だって挫折を味わって、落ち込んでいるときに、うまくいっていたときの自分と比べてしまって打ちのめされてしまうこともありませんか?
それで奮い立つ人ならそれでいいんです。
それで言うなら、「他人と比べたほうが奮い立つ」という人なら(そういう元気がある間は)、それでもいいんです。
でもつい自分と比べてしまって落ち込むことがあるあなたに言いたいのは、「自分とさえ比べなくていいんですよ」ということ。
「いまここにいる自分」
私は毎朝少しのあいだ坐禅をしているのですが、坐禅そのものが好きなのか、禅の考え方が好きなのか、自分でもよくわかっていません。
ただ禅の考え方でよく言われるのが「相対ではなく絶対」ということ。
どういう意味でしょうか?
相対と絶対
これは現時点での私の解釈です。
相対というのは、「自分を含めた、だれかと比べたときの自分」ということ。
絶対というのは、「いまここにいる自分」ということ。
線ではなく点
「線ではなく点」だとも言われます。「連続ではなく非連続だ」とも。
つまり、過去の連なりでできあがっているのが今の自分だとしても、自分が見てあげる・いま認識してあげるのは「いまここにいる自分」だけでいいんだよ、ということです。
外ではなく内
答えは外側にあるものではありません。
誰かが持っているものではないんです。
自分の内側に意識を向けて、「いまここにいる自分」を感じたとき、迷いは和らぐはずです。
答えも、「いまここにいる自分」の中にあるはずです。あとはそこにあなたが目を向けて、見つけてあげるだけです。
おわりに
本当は「比べないでいる方法」を具体的にお伝えできればいいんでしょうが、
- まず「比べる必要自体がないんだ」という考え方を知って、
- 坐禅でも、瞑想でも、ただゆっくり目を閉じてみるのでもいいから、「自分一人の何も考えない時間」を1日5分でももつ
ということをして、自分と向き合う以外には方法がないんだろうと思います。
なお、私は今のところ仏教徒ではありませんし、「みんな坐禅しようよ!」とも今のところ思っていません。
また、私のいう「禅の考え方」は、「道元禅」をもとにしていますが、未熟もいいところです。
でも私は「比べなくていいんだ」という考え方(日頃の心構え)を知って、とても楽になりました。
「つい誰かと、過去の自分と比べて苦しんでしまう」あなたに届いて、少しでも気もちが楽になればいいなあと思います。
■ そのほかの坐禅の記事(だいぶ軽いですが…)
・『坐禅していいことあった?答えは「特にない」(2016年9月時点)』
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