たまたまなのだろうけれども、このところ、

  • 「お疲れ様」という言葉
  • 汗の絵文字
  • wの使い方

について、「こうした表現が好きじゃない」という意見を立て続けに見かけて、「ふうむ」と思った。

 

「ふうむ」とは何か。

ありていに言うと、「こうした表現が好きじゃない」と表明する行為も、私個人としては好きじゃないな、と感じた気持ちがこの「ふうむ」には含まれている。

 

誤解のないよう強く言っておきたいのは、これらの意見を表明されていた方は全員お知り合いであり、全員仕事面でも人間面でも尊敬している方たちで、人格について云々したいわけではまったくない、ということだ。

 

ただ、人格とはまったく関係なく意見だけを切り離した上で、なぜそう感じたのか整理してみよう、ということでとりあえず書きはじめているのが現在だ。

 

なぜ私はこうした表明が好きじゃないと感じたのか。

 

それは、どんなに「あくまで私個人の意見であり、誰かに押しつけたいわけではない」と言われたとしても、私は神経質なので「この人はそう思うらしいから、この人にはこういう表現をしないよう気をつけよう」と思うからであり、私のような人間にとってはどんなに「あくまで私の意見です」という気遣いの前置きがあったとしても、結果的に「押しつけられているのに近い効果が生じる」というしごく個人的な理由である。

 

なので「そんなの気にしなきゃいいじゃん」と言われればそれまでである。

 

が、私としても、上に挙がっているものの良し悪しは結局その人の主観でしかなく、もし「そんなの気にしなきゃいいじゃん」を持ち出されるのであれば、それは双方に通じ得る意見のようにも感じるのだ。

 

「こうした表現が好きじゃない」を発信することで、たしかに気をつける人も増えるかもしれない。

ただ、「え、それ、そんなに悪いの?」と感じてしまう人への窮屈な思いも増やしてしまってはいないか。

 

どこかで書きたいと思っていたが、私は「おつかれさま」という言葉がとても好きだ。

(「疲れ」という漢字はどうなのか、という風潮もあるのでひらがなにしているが、個人的には漢字でも構わない)

 

「おつかれさま」には、相手をねぎらう気持ちがある。

「大変だったね、疲れたでしょう」「今日も一日がんばったね」といういたわりの気持ちを感じる。

 

なぜ「おつかれさま」がこんなに使われるようになったのかといえば、日本人的なこうした気遣いが込められているからではないか。

 

ただビジネス界隈だとわりと嫌われる(ことの多いように感じる)のがこの「おつかれさま」である。

「こっちはバリバリ好きな仕事してんだから疲れてねーよ」

「お前の感覚で『疲れた』なんて決めつけてくんな」

「そんなネガティブな言葉使ってるからお前は疲れ果ててんだよ」

ぐらいの勢いの論説もどこかで見たおぼえがある。

 

私の中ではあくまで「ねぎらいの気持ちの表れ」でしかないのだが、この反論もまたしょせん私の主観なのであえて書くことはしなかった(たしか)

 

 

また、汗の絵文字については、

「何度も申し訳ありませんが、ご返信お願いできますでしょうか💦」

のように、「自分の行動に関することで使うのはよいが、相手のできていない行為に対して使う汗の絵文字」に責めている印象を受けてしまう、ということであった。

(ご迷惑おかけしそうなのでひとまずリンク等貼りません。その記事はとても丁寧に書かれています)

 

ただ私個人の感覚では、こういうときに「。」で締めると印象がきついから、絵文字を使って少しでもやわらかにしよう、という意図を感じ、決して悪い印象は受けない。

それは私が鈍いからだと言われればそうかもなあとぼんやり思う。

 

そして2回目だが、人格的にどうこうという話がしたいわけではない。

「そう感じる」ということにも「感じるな」などと言いたいわけではまったくない。

 

ただそれでも、「私は好きじゃない」という発信を目にしてしまうと、少なくとも私は「自分の感覚はさておき、この人には使わないようにしよう」と考える。

だから、「今後、自分が使える言葉の範囲を狭められたような、窮屈な気持ち」をほんの少しだけれども、感じてしまった。

 

発信するなら、「こういう表現が好き」のほうがよくはないか。

たとえば「人をほめるって最高だぜ!」という表明であれば、世の中にほめる人や言葉が増える可能性があり、世界にほんの少しでも明るみが増す。

 

「こういう表現が好きじゃない」にも、たしかに世界をより洗練された表現へ向かわせるような効果があるのかもしれない。

ただ私は万人にとっての洗練みたいなものにはどうにも実感が湧かないほうだし、それが自分の感覚と合わなかったとき、息苦しさを感じてしまうところもある。

それが今回だった。

 

なので、たとえば「wの使い方」にしても、「こういう方向性のほうが与える印象いいんじゃない?」みたいな提言、であれば受け容れやすいなあ、と感じた次第である。

(なお、私は「w」を使うとオタクに見られそう、という偏見で昔はまったく使わなかった。独立した31歳のときから「思わば思え」と吹っ切って使うようになったが、私は楽しいときに使うのでこれも好きな表現になった)

 

ちなみに、「表明するのはどうか」という思いとは別に、自分の中で「嫌だなあ」と感じる事柄を言語化しておくのはとても大事だと感じている。

対処ができたり、「なんだそんなことか」と客観視できたりするからだ。

ただそれをそのまま発信するかは別問題で、あくまで私個人の意見として、そうした発信はなんだか居心地がよくない、と感じたというのが当記事の趣旨である。

 

まあそんなこと言って、この記事もまた「好きじゃない」に対する「好きじゃない」なわけで、世界に「こうした発信はよくないのか」という窮屈を増やしている、というのは間違いなく言える。

そう考えると発信にはどんな方向性でも、よい効果と悪い効果があるというそれだけのことで、単純に私が考えすぎなのかもしれない。

 

というぐるぐるもやもやの話でございました。

そういえば私も、よく使われる表現で好きじゃない(煽られているように感じる)ものがあるなと思い浮かんだのですが、書いたら余計「お前もやないかーい!」がマシマシになるのでやめておきます。

あと「おつかれさまです」って乾杯のとき便利よね。「おーしゃしゃしゃまえーす」とか適当な発声で済む感じも好き。

 

何度も書いているように、当記事は人格について云々したいわけではなく、あくまで個人の意見に対する私個人の意見にすぎません。

そうとは申せ、こちらの記事を見てご不快になられる方がいらっしゃいましたらお詫びいたします。

 

 

<広告代わり>
「役に立った!」「ニヤニヤした」など、もし「こいつ応援してやろうかな」という菩薩のごときお心が芽生えましたら、Amazonか楽天でお買い物するときに、下のリンクを踏んでからお買い物をしていただけますと私にジュース代なんぞが入ります。とても嬉しい。(なぜかメガネの検索画面が出てきますが無視してお好きなものを!)
▷Amazonでお買い物
▷楽天市場でお買い物
▶Amazonのほしいものリスト