殺伐とした世界よりのほほんとした世界が好きなので、せめて自分の発信はそれに沿う

 

 

こんにちは。めがね税理士の谷口(@khtax16)です。

 

わたくし、もともと Twitter が好きなのですが、新型コロナの影響をはじめいろいろな事情でタイムラインが殺伐としているなあ、と感じることがここ2~3カ月でとても増えました。

 

もともと穏やかな投稿をしてらした方も、お怒りぶりを感じさせるツイートをされていたりして、往時との変化を思わせます。

 

わたくし、殺伐とした投稿を見るとその気持ちにあてられてしまうというか、何かをしようという気力が失せてしまい、いただいたリプライへの反応もうまくできずに遅くなりがちです(くださってた方すみません)

 

うーん、Twitterをやめようかなあ、でもありがたい情報を得たり、笑ったりすることも多いんだよなあ、という生産性のない迷いをここのところくり返しておりました。

 

事務仕事ではありますが、医療業界に携わる仕事を妻がしているので、医療従事者の方が差別を受けている、といった話を聞くと私も腸が煮え返るし悲しい気持ちになるし、何か言いたい気持ちになることもあります。

どれだけ社会を助けてもらっているのか、また、いまは関係なくても自分や家族を将来助けてもらうかもしれないことを、想像できなくなってしまうのは悲しいなあ、と思っています。

 

ただ、ブログ、Twitterを含めて、それをそのまま発信はしていません。

・自分の意思で発信していないのか

・それとも発信したくてもできないのか

は、まだ自分の中で整理ができておりません。

 

発信することに意義がないとは言いません。

たとえば「医療従事者の方への差別はやめよう!」と私が声を上げることで、ひとりでも「そうか、自分も気をつけよう」と思う人がいれば、それは意味のある行為になるでしょう。

 

怒るなとは言いません、悲しむなとは言いません、批判をするなとも、それが中身の伴った、人を無用に傷つけることのない批判なのであれば、言いません。

 

ただ私は、殺伐とした世界を、悪口雑言を、批判の形式をとった罵倒を見ると、気持ちが萎縮してしまうのです。

なんだか、居心地が悪くなる、自分の見ている世界が色を失って、まわりの人みんなが凶器を握りはじめたかのような感覚になるのです。

 

これはただの私の感覚なので、誰かに押し付けるつもりはありません。

「私が萎縮するからやめてくれ」

といえば、それもひとつの「殺伐」になるでしょう。

 

私は殺伐とした世界が好きではない。

だから、せめて自分はそうじゃない発信をする。

 

私はのほほんとした世界のほうが好き。

だから、せめて自分はのほほんとした発信をする。

 

ただでさえ、思うようにならないことの多い世の中です。

せめて、自分が見えている世界に、自分の好きな色をつけていく作業を、ひとつでも重ねられたらいいなと思ったのでした。

 

 

 

 

・・・・・・・と、いうことを考えて下のツイートをしたところ、私のツイートにしてはたくさんいいねをいただけてとてもうれしかったです。

 

 

おしまい。

 

 

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