「私って変わってるから」
「私はこういう意見なんだけど、これって少数派らしくて」
意味合いはそれぞれですが、こんなことを思ったこと・人に言ったことはありませんか?
でも「自分が変わっている」なんて気に病む必要はまったくないんです。
目次
「自分は変わっている」と自信をなくしてしまっているあなたに
人は誰もが変わっています。いわゆる「普通の人」なんて世の中に存在しません。
あなたの知ってるいろいろな人を頭に思い浮かべてみてください。
一人でも、「この人はなにからなにまで普通の人」と思える人がいますか?
- あの人はここがすごい
- あの人はああいう所を直してくれればなー
いい・悪いの話ではないんです。
なにかしらの「その人だけの特徴」が見つかりませんか?
いいや悪いではなくそれもその人の個性です。
誰もがみんな持っています。
着飾る必要も、あえてアピールする必要もなくにじみ出る個性を我々はみんな持っています。
あなたは「自分は変わっている(からうまくいかない)」と悩んでいるかもしれませんが、「変わっている」のはあなただけではありません。
みんなが変わっているんです。
いい・悪いも相対の話、一面から見た場合の話に過ぎません。
誰かから見た悪い面は、ほかの誰かから見ればいい面になることもあるし、その逆も当然あります。
あなたが気に病むその「変わっている所」は、ある誰かから見れば必ず「いい所」になります。
あなたが気にすべきは「変わっているかどうか」ではなく、自分の言動を、振る舞いを真摯に振り返ってみて、もし
「ここは直したほうがいいな」
「ここは直したいな」
と思うのであれば直せるよう努力すること。言葉を、行動を一つ変えてみること。
そうした「自分自身を見つめた振り返り」、もう少し魅力的な自分になる何かを、いま、一つすること、それだけです。
自意識過剰な意味での「自分は変わっている」
また、その「自分は変わっているから」に、(だから普通の人とは違うんだ)という優越意識を、ほんの少し隠していませんか?
もしそうであれば、あなたが基準にしている「普通の人」なんて実は存在しません。みんなが変わっているんだから優越意識の根拠にはなりません。
その「自分は変わっているから」を、自分のダメな所、本当は直したほうがもっともっと魅力的になる所を、見ないでいるための言い訳にしてはいませんか?
「変わっているかどうか」と考えることには、有益な意味がひとつとしてありません。
「変わっているか」というのは誰かと比べないかぎり認識できません。
それは身のまわりにいる誰かかもしれないし、自分が勝手に描いた「普通の人」かもしれません。
でもなによりも大切なのは間違いなくあなた自身です。その比べた先の誰かではありません。
あなたがするべきなのは誰かと比べて落ち込むこと、安心することではありません。
きちんと「いま」「ここにいる」自分自身を認識して、「いま」「なにをするか」を考えること。「いま」「ここ」に集中すること。
誰かと比べて「自分は変わっている」と気にしてしまったとき、言い訳にしてしまったときは、そのことを思い出して、目をつむり、一度深く呼吸をしてみてください。
大丈夫、あなたは魅力的な人ですよ。
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この「誰かでなく自分」というのは、「相対ではなく絶対」を基準にする禅の考え方です。
禅の考え方をもとにこんな記事も書いています。⇒『人と比べなくていい、自分とさえ、比べなくていい』
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