人生で大切なことはすべて「赤毛のアン」に詰まっている 村岡花子訳「赤毛のアン」礼賛

 

こんにちは。めがね税理士の谷口(@khtax16)です。

 

私の好きな本として、プロフィールに「赤毛のアン」を挙げているが、そういえばブログに書いたことがなかった。

私はこれを18~20歳の時にはじめて読んで、 ものすごく感動した。

人生で一番大切な本になると信じ込んだ。

33歳になった今も、その大切さは揺らいでいない。

 

こういったことはないだろうか。

たとえば何かの試験を受ける。

かなり勉強はしたが、本番の手応えとしてはそれなり。

受けたあと、自分に対してこう話しかける。

 

「手応えはないわけじゃないけど、受かっていないかもしれないから、期待は持たないでおこう。そのほうが、落ちていたときのショックを和らげることができるし、もしも受かっていたときに、より嬉しさを味わうことができるだろうから」

 

そんな私に、赤毛のアンはこう言った。

 

「あのね、マリラ、何かを楽しみにして待つということが、そのうれしいことの半分にあたるのよ」

「そのことはほんとうにならないかもしれないけれど、でも、それを待つときの楽しさだけはまちがいなく自分のものですもの」

「あたし、なんにも期待しないほうが、がっかりすることより、もっとつまらないと思うわ」

 

自分がしたことに対して、期待を持たないということが、「(期待を持った結果ダメだったときに)がっかりすること」よりもつまらないこと、というような考えは持ったことがなかった。

たくさん期待して、本当に思うようになればものすごく嬉しいし、もし思うようにならなかったとしても、その「がっかり」さえ面白がってしまう。

この人生をすべて味わい尽くそうとするアンの姿勢に、何度も心を打たれた。

 

奇しくもMr.Childrenの桜井さんも『HERO』でうたっている。

 

人生をフルコースで深く味わうための
幾つものスパイスが誰もに用意されていて
時には苦かったり
渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを笑って食べる
君の側に僕は居たい

 

11歳まで孤児院で育ったアンは、マシュウとマリラというクスバート兄妹に引き取られ、嬉しいことがあったときには宙に浮いていってしまいそうなほど全身で喜んで、悲しいことがあったときにはとうとう世界の終わりが来たとばかりに嘆き悲しむ。

こんなにも自由に、こんなにも激しく、いいことも悪いことも全部自分のものとする。

私はアンに憧れと「自分はこうあれない」という思いとを抱いた。

 

上記の引用文には、一部省略した箇所がある。

 

リンドのおばさんは『何事も期待せぬ者は幸いなり、失望することなきゆえに』って言いなさるけれど

 

「リンドのおばさん」というのは、クスバート家の近所に住むおばさんである。

「何事も期待せぬ者は幸いなり、失望することなきゆえに」

という警句は、私のような人間だけではなく、多くの人間に共通する姿勢なのではないだろうか。

ある意味では処世術と言っていい。

不要に傷つかないための処世術。

自分を守るための処世術。

それが間違っているわけは絶対にないし、悪いわけでもない。

 

よく「他人には期待しないほうがいい」という言説を聞く。

「他人に期待を持つから、そこにまで達しないときに怒りを感じることになる。はじめから期待しなければ、相手がほんの小さなことでも何かしてくれれば『ありがとう』と思える」

というものである。

私は原則としてこの考え方に反論する気持ちはないし、「そうあれたら」と思うことだってある。

しかし同時に、「アンならどうするだろう」と考えることもある。

 

アンなら大いに期待して、かつ自分が勝手に抱いた期待で人に怒りを覚えることはないだろう。

アンは人生を愛している。

世界を愛している。

まわりの人々を愛し、感謝の気持ちを常に持っている。

アンなら、どんな困難が訪れても、人生の曲がり角にある日行き当たっても、凛と前を向いて、わくわくと未来や世界に期待を持ちながら歩いていくだろう。

野心を大いに持ち、いま手元にある幸せも決してないがしろにせず、あらゆるできごとを心の底から味わいつくすにちがいない。

 

私はアンのようにはなれないけれど、アンが見ている世界が一番幸福と輝きに満ちているのだろうと思っている。

人生において大切なことが、『赤毛のアン』にはすべて詰まっている。

 

 

 

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<おわりに>

『赤毛のアン』はカナダの女性作家ルーシイ・モウド・モンゴメリが書いた小説です。

人気作ということもあり、翻訳した方が何名もいらっしゃるのですが、タイトルにも書いたとおり私は「村岡花子」さんが訳したものが好きです。

(ほか2つほど読み比べた結果)

 

 

村岡花子さんといえば、NHKの朝ドラ『花子とアン』で取り上げられたのが有名かもしれません。

私は朝ドラは見ていないのですが、この「村岡花子訳」は文章と赤毛のアンの世界観とが絶妙に合っているように感じられます。

もし読んでくださる方がいるようならぜひ村岡花子訳をおすすめします。

 

 

また、このアンシリーズは10作ぐらい出ていて、私は『アンの青春』『アンの愛情』と3作目まで読んだのですが、個人的にはこの『赤毛のアン』の完成度が高すぎて超えられず、「続きを読むより赤毛のアン読み直すほうがいいかな」みたいな感じになってしまい中途半端な状態になっています。

『アンの愛情』は結構面白かったんですが。。

 

 

さらに余談ですが、『赤毛のアン』で私の一番好きな言葉として、

 

「そうさな、わしには十二人の男の子よりもお前一人のほうがいいよ」とマシュウはアンの手をさすった。「いいかい?――十二人の男の子よりいいんだからね。そうさな、エイヴリーの奨学金をとったのは男の子じゃなくて、女の子ではなかったかな?女の子だったじゃないか――わしの娘じゃないか――わしのじまんの娘じゃないか」

 

というマシュウの言葉があり、この「十二人の男の子よりもお前一人のほうがいい」は本当に何度読んでも涙腺が緩むのですが、最初からの流れがわかってないといまいち伝わりきらないのが悲しいところです。

(あ、マシュウは11歳のアンを引き取った時点で60歳ぐらいらしいので『わし』という一人称になっています)

 

これ書くときにちょこちょこ読み返してたらちょっと泣きました。

またちゃんと読み返したい。

 

 

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