先日「結婚10周年を迎えられた」という話を書いたのですが、それを更新したのが11月8日。
実は、内容も内容だしどうせなら本日の「いい夫婦の日(11月22日)」に更新しようかな、とちらっと思っていたのですが、少し考えた結果やめたのでした。
なぜやめたのかというと、それは、いい夫婦の日までのあいだにケンカして「いまはこんなの更新する気分じゃないっ!」ってなったら困るな、というクソみたいな理由によるものです。
(実際にあり得るから困る)
実際のところ、特段のケンカもせずにいい夫婦の日を迎えられたのか、というとそんなこともなく、
- 明日あたり大きめの公園にイチョウなどの紅葉を見に行こうか、という話をする
- 行く当日に小競り合いが発生
- が、かつてないスピードで修復に成功し一緒に出かける
といった小事件はあったのが偽らざるところであります。
結婚して10年、つきあってからはあと数カ月で13年になろうという期間が経過するまでのあいだに数かぎりないケンカがあったわけで、「ケンカしたことない」という夫婦に出っくわすとそれはもうびっくりして「しゅ、しゅごすぎるぅぅ」とお漏らししちゃいそうになるぐらいガクガク震えるわけですが、しかしそれだけのケンカをしてきた夫婦なりに「ケンカした数だけ理解が深まった面もあるな」という思いもわずかにあります。
(純粋な比例関係にあるかは議論を要す)
私がふと「なるほどこういうことかも」と気がついたことのひとつに、「怒りが増幅するタイミングの違い」についての話があります。
※ ムダに図が多いため、表示されてなかったらページ更新するかそっとお閉じくださいませ
目次
怒りのタイミングの違い
たとえばですね、何か些細なことでケンカが勃発したとするじゃないですか。
ここでいきなりメガネ(私)の怒りボルテージは MAX に到達するわけです。
で、数時間が経ちます。
そうすると、たいていメガネに非があるので「いや、ちょっと落ち着こう・・・」みたいな気もちになってまいります。
(図としてのわかりやすさを重視して、怒りが底辺に落ちたかのような印象を与えますが、「そこそこキレてるけど自制してる」ぐらいの状態です。あと数時間で収まらないケースもぜんぜんよくあります)
で、態度を改めようと思うものの、「申し訳ございませんすべてわたくしが悪うございました」などと即座に謝罪できるようなまっすぐな、清明な人格をわたくしが有していないものですから、一旦「通常のやりとりでしたら対応いたしますよ」といった態度の軟化を遠回しに表明してみせるわけです。
(文字にしてみると、私、クソですね)
内容はまあなんでもいいですが、たとえば我が家ではプラスチックゴミをある程度溜めてから捨てるので、「それを明日捨てるからなにか捨てるものがあれば入れておいてくださいましね」というような、通常の生活でも伝えるようなことを言ったとしましょう。
そうすると、
と、普段なら「だいじょうぶ、ありがとね」等言ってくれる妻から明らかに怒りが継続中な、そっけない対応が返ってくることがままあるわけです。
それを受けた私は、怒りが再燃することと相成り、
と、再び怒りのボルテージが上昇してしまってギスギスが長引く、ということが我が家ではたびたび起こっておりました。
しかし、数々のケンカをくり返してのち、ぼんやりと理解してきたのは、
「怒りが大きくなる・小さくなるタイミングが、妻と私とで異なっているのではないか」
ということであります。
どういうことか申しますと、先ほどのこれがメガネの「怒りの増減」を表す波形だとした場合、
さらに妻の波形を上下で並べてみます。
重ねてみるとこんな感じ。
このように「二人の怒りがマックスになるタイミングがズレているのではないか」という仮説が生まれてきたわけです。
先ほどの場面をこれに当てはめてみると、つまり、「私が落ち着いたタイミング」で・・・
「妻の怒りがマックスになっているのではないか」ということであります。
で、妻もそのあと怒りが沈静化し、
「さっきはごめんね」など、軟化した態度を示してくれたりするのですが、先ほども言ったようにそのときは私の怒りがぶり返しており、
と、永遠に折り合わずギスギスが長引いていく、ということがしばしば見られたような気がするのです。
「怒りのタイミング問題」解決策
実際には、
・怒りの増減がこんな単純なわけはない
・順番が逆になることもある
という前提はありますが、ともかくもつまり、「妻と自分で、怒りが大きくなるタイミングが違う」という点が最重要ポイントなのであります。
そこが理解できれば、
このような妻が謝ってきてくれたタイミングで、
怒りのぶり返しをぐっとこらえてメガネも謝ると・・・
無事 BIG LOVE ハッピーエンドに!!
※ そもそも怒りのタイミングを自在にコントロールできるならこんなことを考える必要はなく、毎回こんなうまくは行きませんが、これを理解してからは修復が早くなったような気はしております(ということを表現したいがためにこれらの図をつくった)
※ 関係ありません & 以前も自白しましたが、図上で妻がメガネをかけたアイコン表現になっているものの、実際の妻はメガネをかけておりません
「妻には笑っていてほしい」と言っていた時分の己の浅さ
なんでこんなことを説明するためにこんな量の図をつくってんだおれは。
「ギスギスが長引く理由の一端はこういうことだったんすよ!」という自分の驚きを示すため、という目的と、かけた労力とがまったく釣り合ってないだろ。
あと余談なんですが、以前たしか「妻には笑っていてほしい」というような趣旨のことを当ブログあたりで書いた気がいたします。
いまでもそう思っているのですが、いまにして見ると、当時はずいぶん底の浅い認識でこの発言をしていたな、ということをふと思いました。
「妻には笑っていてほしい」とだけ書くと、いかにも善良な人間が、善良な願いを抱いているかのような印象がしませんか。
しかし、妻が笑って日々をすごすためには「まず自分が笑っておらねばならぬ」ということを、書いた当時の私は理解できていなかったのです。
それはしごく当然のことで、同じ屋根の下ですごすパートナーに余裕がなく、終始不機嫌であったのなら、相手が笑っていられようはずがありません。
もし「妻には笑っていてほしい」を、「自分は日々の仕事で大変なのだから不機嫌になることもあるが、しかしパートナーには常に笑顔でいるよう求める」と書き直すとすれば、これは途端に相手への思いやりのカケラもない下劣な人間の手前勝手な要望へと変わるでしょう。
世の中のほとんどのものは「白か黒か」で単純に決められはしません。
大きな大きなグレーゾーンが広がる中で、当時の私に「こういうことなのか」といえば「曲解しすぎでしょ」と返すでしょうし、実際そうした気持ちを隠して「妻には笑っていてほしい」と書いたつもりは毛頭ありません。
ただ、「妻には笑っていてほしい」を実現したいのであれば、まず自分で自分の機嫌をとること、つまり、
「自分自身がいつも笑っていられるような余裕を確保し、率先して笑うことで、パートナーに『ここでは笑っていてもいいんだ』と安心してもらえるような環境をつくること(その後笑うかどうかは相手次第)」
ということを、もっと真剣に、自分がその状況を実現する端緒となることを理解する必要があったんだよな、ということをこの結婚生活の最初の10年間で噛みしめることとなった次第です。
自分が結婚してよかったなぁと思うのは、それまで他人であった人との同居生活を通じて、
「自分の無意識の思い上がりに対して、ことごとく『これは自分の思い上がりだったんだな』と気づけた」
ことがひとつあります。
といって、人間はしょせんその人間の分際でしかものごとを捉えられませんので、現在の私にもさまざまな思い上がりがひそんでいるでしょう。
そんなのは結婚しようがしまいが、どんな環境だろうがそういうものなんだと思います。
そういうものも全部抱えて生きていかねばならないから、生きるというのは大変なものですね。
とくにふざけるポイントが思いつかず、いい着地点も見つからなかったため、このあたりで突然終了いたします。
「役に立った!」「ニヤニヤした」など、もし「こいつ応援してやろうかな」という菩薩のごときお心が芽生えましたら、Amazonか楽天でお買い物するときに、下のリンクを踏んでからお買い物をしていただけますと私にジュース代なんぞが入ります。とても嬉しい。(なぜかメガネの検索画面が出てきますが無視してお好きなものを!)
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