2016年の20いらなくない?

いやいりますよ。もちろんいります。20なくなったら今年16年になっちゃいますもんね。西暦16年。浅い。なんだったらイエス・キリスト今16歳。若者。まだ選挙権もないほどの圧倒的若者。

そうではなく、「年月はきちんと記しませんか」ということと、私がファイルに名前をつけるときのマイルールの話です。

 

とりあえずいま何年かを書こう問題

 

税理士事務所の場合

士業全般に同じ傾向があるようですが、税理士事務所というのはつい書類が多くなりがちです。

以前勤めていた税理士事務所も、ご多分に漏れず基本的に紙で取っておく習慣があり、ファイルごとにお客さまの資料をまとめていました。

こういうファイルですね。

 

 

 

で、こういうのに諸々の資料を挟んでおきまして、その紙に備忘のメモを残しておくことも多々あるわけなんですが、ときどき

「9/14」

みたいなメモを見つけることがあります。

 

それを見て、

「いやいつなの?」「何年の9/14なの?」

と己に問いかけることがあるわけです。

 

これが今年(いまだったら2016年)だったら迷うことはないんですよ。あるいは一年前くらいでも大丈夫でしょう。

でもそれが二年、三年、と経つにつれてだんだん感覚って薄くなっていきませんか?

書いているときって「べつに何年か書かなくてもいま2016年なんだからわかるっしょ」という感覚なんですが、それを見返すときは常に2016年というわけではなく、二年後三年後に見返すことは往々にしてあるわけです。

もちろんその書類がある場所によって推測できることもあるわけですが、長期保存が必要な書類なんかは本当にいつのものかわからないものがまれにあります。

「あんときの俺書いとけよ」みたいな。

だから常に「あとで見返す人の存在」を意識して行動しないとだめだと思うのです(それが自分であれ他人であれ)。

 

 

インターネットの場合

これを思い出したのが『テキストサイトの思い出』というくそ記事を書いた際に、侍魂さんのサイトを見返したときで、読んでいたら日付しか書いておらず何年かがわからない記事が多々ありました。

特にブログなんかだと、そのときが「何月何日か」は書いてあるのに「何年か」を書いてない方って一定数いらっしゃるんですよね。

やっぱりその人の発言なり書く言葉なりって、そのときの時代背景に(有意識無意識問わず)強い影響を受けているんだと思うんです。

なので少し先の未来に読んだ方が「ん?これいつの話だ?」と思わないよう、時事ネタや、日付を書くのであれば一緒に「2016年」まで書いてあげると、より丁寧で背景ごと伝わる情報になるのではないでしょうか。

(インターネットの情報なんて世界のどこの人がいつ見るかわかりませんから。自動で年月日が出るブログも多いですが、だいたい記事の一番上か下かにあるので、私だったらわざわざ移動するのめんどくさいです。私だけかもしれませんが)

 

 

 

(余談)私のファイル名の推移

本題は終わりました。あとは余談です。

 

和暦時代

提灯と桜

 

まあそういう「あとで見返す自分やほかの人」の存在に思いを致して以降、私はファイル名をつけるときによく年月日を入れるようになりました。

いえ、これは別にファイルの更新日で並べ替えればいいんですが、私は結構あとで見返して「あ、ここ直しとこ」ってちょこちょこ修正するタイプでして、しかもファイルの更新の履歴がわかるように細かく名前をつけて保存する系男子なので、いくつもファイルのあるフォルダだとよくわかんなくなって「どこに置いたっけ?」って錯乱する部族でもあります。

(いや検索すればいいんですが、該当のフォルダが開いてるとつい目視で探してしまいます)

 

そうしたときにまず始めたのが、「H28.9.14」とか「H280914」といったように和暦での年月日の入力です。

なぜ和暦かというと、お役所が関わる仕事をしているとどうもあの人達は年を和暦で要求してくるので、感覚を和暦に合わせておこうと考えたんですね。

なぜテンキーで打てず手間のかかるHを入れたのかに関しては、単に「28」だと、2028年が来たときに「あれめっちゃ最近?」って思っちゃうかなあ、という少々行きすぎた配慮でした。

 

和暦の最大の問題点

その「お役所が和暦をつかう」ことに関しては、日本という国の仕事なんだから日本の歴史にもとづくのはごくごくあたり前の話で、そこに文句はないのですが、効率性の観点からするとやっぱり西暦は強いなあというのが私の感想です。

最近(2016年8月)天皇陛下が生前退位についてのお気持ちを表明されましたが、さまざまな状況により和暦はどうしても変わってしまうので、この「連続性」、何年先になっても変わらない、という実務上の安心感は西暦の特性だと思っています。

 

 

西暦時代

シャンデリア

 

20時代

そういった問題点もさることながら、なにより「H」を入力するのがめんどくさくなって西暦に移行することにしました。

  • 20160914_◯◯
  • ◯◯_20160914

というようなファイル名にすることにしたのですね。

しかし入力していたある日「20はさすがに自分が死ぬまで変わんないだから、取っちゃってよくない?」と気づきました。

 

20いらなくないか時代

で、ようやくタイトルの「20いらなくない?」問題にたどり着いたわけです。

この20をとり、

  • 160914_◯◯
  • ◯◯_160914

とすれば、これから先の人生で何万回も入力するかもしれない20を省エネできるはずと企んだわけです。

というかいまでも企みつづけています。

こういうお金も勇気もいらないことは、思い立ったらとりあえず試してみる傾向が私にはありまして、前働いていた事務所で突然ファイル名を変え出したので、私の後任で入られた方が「ずいぶんファイル名に一貫性のないやつだな」「見にくいんじゃぼけなす」という憤りを抱いたであろうことは想像に難くありません。ごめんなさい。

これは結構気に入っていて、いまでも続いているのですが、20を抜くメリットデメリットも一応まとめてみます。

 

メリット

1.楽

楽です。

 

デメリット

1.一瞬「この数字なに?」と思うかもしれない

一瞬「この数字なに?」と思うかもしれません。160914だけ見ると、たとえば請求書かなにかの連番かと思ってしまう可能性はあります。

 

2.年月を表しづらい

ファイル名で日にちまで入力せず、年月だけを入力することもあるのですが、その際ちょっとわかりにくくなります。

■ ◯◯_201609

だと見た瞬間「ああ2016年の9 月だな」とわかりますが、

■ ◯◯_1609

だとなんか「1609」という別の何かを表した数字のようにも見えてきます(私だけかもしれません)。

「人間は4桁の数字がもっとも覚えやすい」というような説を聞いたことがある気がするので、読んだとき「16/09」と途中で区切りを設けず、「1609」全体をそのままいっぺんに認識してしまうせいかもしれませんね(私だけかもしれませんがそういうことにしておきます)。

 

 

 

まとめ

というわけで,

  • 少し先の未来に読むだれかのことを想像する
  • そのために時事ネタや日付を書くときは「年」まで書く

という2点をしようというのがわたくしの主張です。

別に西暦でも和暦でもいいです。20があってもいい、イエス・キリストが16歳でもいいです(よく考えたら選挙権は日本の話だった)。

まあ、なんだったらこの主張が通らなくても別にいいです。

 

 

==============================

<あとがき>

%e3%83%ab%e3%83%b4%e3%82%a1%e3%83%b3

今話題のルヴァンを食べてみました。

あのナビスコとヤマザキが袂を分かったすえに出た、リッツのヤマザキ版ですね。

私リッツがとても好きなんですが、感覚としてはリッツよりややクラッカーの部分が歯ごたえあるかなというぐらいで、味はほとんどリッツでした。おいしい。

 

 

 

 

 

にほんブログ村 士業ブログ 税理士へ
読んでくださってありがとうございました

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!