こんにちは。めがね税理士の谷口(@khtax16)です。
日曜日。それは、日本経済新聞(日経)を読んでいらっしゃる方にとってだれもが大好き短歌投稿コーナーが掲載される曜日です。
(根拠は一切ございません)
私はこのコーナーが好きで毎週見ているのですが、今日のコメントは特にしびれたのでちょっとご紹介したく思います。
目次
日本経済新聞の短歌コーナーと穂村弘さんの概要
日本経済新聞の短歌コーナーの概要
毎週日曜日の朝刊の、中ほどにある「歌壇」と書いてあるコーナーがそれです。
このコーナーの概要をまとめますと、
- 毎週日曜日に読者の短歌を発表するコーナーがある
- 読者は短歌を書いて日経に送る
- 有名な歌人(短歌をよむ人)がそれを読み、12首程度選んで載せる
- そのうちいくつかはコメントを寄せてもらえる
という感じです。
なお、俳句もありまして、短歌2人、俳句2人、という感じでそれぞれ著名な方が選者(応募作を読んで選ぶ人)を担当されています。
(2016年12月現在、有栖川有栖さんの推理小説紹介コーナーの右隣にあるコーナーです)
穂村弘さんの概要
穂村弘さんもその選者の一人でして、つまり短歌で有名な方であります。
私はたしかエッセイで知ったような気がしますが、短歌だけでなくエッセイも出しておられます。
この穂村弘さんの短歌に対するコメントが毎回本当にかっこいいんです。
引用の範囲に当たるかは微妙なところですが、穂村弘さん引いては日本経済新聞の宣伝になるといえばなると思うので、いくつか引用させていただきます。
(万一問題がありましたらお問い合わせフォームより罵詈雑言をご送付ください。すぐに撤去します)
穂村弘さんのコメントがやたらかっこいい問題
まず、
- 読者の方が応募された短歌
- 私(谷口)のしょうもない一般人としての感想
- 穂村弘さんのコメント
という順番で3首紹介させていただきます。
応募された方のお名前を掲載するか迷ったのですが、新聞に掲載されているぐらいですし素晴らしい短歌ばかりなので、中途半端に名字だけ載せさせていただきます。
万が一ご本人さまが発見された場合、すべて削除してほしい・名前は削除してほしい・名前を載せていいからリンクを貼ってほしい、等どんなご相談にも応じますのでお問い合わせフォームからご連絡を賜りますと幸いです。
現実とは時間と空間の檻なのか
まず読者の方の短歌です。
キスさえも時間を決めてする部屋のあちらこちらに歪んだ鏡
出典:日本経済新聞2016年12月11日号 橘高さん
めちゃくちゃおしゃれじゃないですか。
「キス」は本来愛の詰まった行為のはずなのに、「時間を決めてする」という言葉でどこか息苦しさを漂わせ、最後の「あちらこちらに歪んだ鏡」でさらに閉塞感が増し世界の歪みさえ感じさせます。どういう状況なのか、想像がふくらみますね。
それでは穂村弘さんのコメントを。
定刻の「キス」と「歪んだ鏡」。現実とは時間と空間の檻なのか。
出典:日本経済新聞2016年12月11日号 穂村弘さん
現実とは時間と空間の檻なのか。
現実とは時間と空間の檻なのかですよ。
『定刻の「キス」と「歪んだ鏡」。』と二つの鍵を並べたことでシンプルにこの歌の世界のいびつさを伝えつつ、この『現実とは時間と空間の檻なのか』と書くことで、この部屋が檻(おり)に囲まれている状況さえ見えてきます。
この、コメントによって歌以上に世界が広がる感覚、これが穂村弘さんのすごいところだと毎回感嘆します。
次の短歌にいきましょう。
痛切な愛の夢に胸を打たれる
まず読者の方の短歌です。
寝たきりの妻を抱へて空を飛ぶ夢に駈られるシャガールの絵に
出典:日本経済新聞2016年12月11日号 坂本さん
「寝たきり」とあるので、ご主人が介護をされている状況なのでしょうか。
寝室にはシャガールの絵がかかっていて、疲れて眠るまぎわに見たその絵は、ご主人の夢を優しく包んでいっときの安らぎをつくり出す。しかもそれは一人きりでなく、妻と一緒の夢。そんな情景が頭に浮かびました。
穂村弘さんのコメントを見てみましょう。
痛切な愛の「夢」に胸を打たれる。「寝たきりの妻」を抱えて歩むことはできなくとも、「飛ぶ」ことはできるかもしれない。「シャガールの絵」には、そんな力がありそうだ。
出典:日本経済新聞2016年12月11日号 穂村弘さん
痛切な愛の「夢」に胸を打たれる。
まず始まりが痛切な愛の「夢」に胸を打たれるですよ。
こんな短いコメントにどうしてこんなかっこいい言葉を盛り込めるのか。
そして穂村さんのコメントで気づきましたが、おそらく詠み手(よみて)の方は「寝たきり」の現実と、「飛ぶ」夢とを対比させていたのですね。
しかし「寝たきり」から「飛ぶ」だと、素人の私見ながら少々その行動には距離があり、なめらかには連想にたどりつけません。
だからこそここに穂村さんが「歩むことはできなくとも」とひと言つけ加えることで、「寝たきり⇒歩む⇒飛ぶ」と状況の変化が自然な速度で想像できるようになり、現実から夢への対比がより明らかに、生き生きと、飛躍することなしにわれわれに届くようになります。
重複になりますが、本当に想像もしていなかったその歌の世界の広がりを穂村さんは示してくれるのです。
もちろん歌そのものの力もあってこそなのでしょうが。
最後の短歌にいきましょう。
しなやかな指を祈りのように思う
まず読者の方の短歌です。
野に入りて秋の千草に触れし指夜半は冷たき額の上に置く
出典:日本経済新聞2016年12月11日号 森本さん
念のため、先に意味のご紹介だけしておきますと、
- 千草(ちぐさ)⇒ いろいろな草
- 夜半(やはん)⇒ 夜中(よなか)
という意味です。
私の感想として、正直に申し上げてそれほど何かを感じたわけではありませんでした。
「そとに出て、秋の草に触れて、夜は冷たい額に手を当てる。だんだん冷えてきた季節(自然)の描写をしているのかな」ぐらいのものです。
穂村弘さんのコメントを見てみましょう。
昼の「指」と夜の「指」。「冷たき額の上に置く」が祈りのように感じられる。
出典:日本経済新聞2016年12月11日号 穂村弘さん
「冷たき額の上に置く」が祈りのように感じられる。
「冷たき額の上に置く」が祈りのように感じられる。
ああ、なるほど。『昼の指と夜の指』とあることによって、上の句と下の句との状況がそれぞれ分かれていること、そして歌のなかでは一度しか出てきていない「指」がつなぎ目となり、そのそれぞれの世界とを見事につないでいることに気づかされます。
また、昼には秋の草に触れたしなやかな指は、夜、冷たい額の上に置かれることによって額に温もりを与えているのです。
しかもそれが祈りのようだと。
そう考えてみると、この「冷たき額」、私は最初自分の額なのだろうと思っていました。
しかし場合によってはこどもかもしれない、愛する人かもしれない、あるいは、うとましく思っている人かもしれない。
「冷たい」も、どういう冷たさかもわからない。ただ冷えているだけか、あるいは、もう温まることのない冷たさなのか。
それでも、祈りのように温める。
このように、自分だけでは気づかなかった新しい世界が出現するたびに、自分の狭い視界だけで物事を考えていてはだめだなということを実感するのです。
おわりに
というわけで、
- 短歌コーナーの概要
- 短歌を3首と、穂村弘さんのコメントをご紹介
してみました。
日曜だからさくっと書くつもりが文字だけで3000文字超えてしまいました(^_^;)
日経新聞を取られている方限定にはなってしまいますが、もし少しでもご興味を持っていただけた方はときどき見てみてください!
■ 次の記事はこちら!
⇒映画『君の名は。』で流れるRADWIMPSの『なんでもないや』がいいよ、いいんだよ
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