こんにちは。めがね税理士の谷口(@khtax16)です。

 

昨日、ブログ仲間で同じ支部でなにかとお世話になっている林さんが『2011年3月11日の備忘録』という記事で東日本大震災の振り返り記事を書いてらしていて、

「たしかにブログはじめてから初の3/11だし、記憶を留めておくためにも記録しておくのはいいかもしれない」

と思い立ったため、振り返りを少し書いてみます。

 

※ 自分のための備忘録という意味合いが強く、むだに長くなってしまったので飛ばし読み推奨です。

 

 

2011年3月11日金曜日 東日本大震災当日

私はそのとき横浜にある税理士事務所に勤めていました。

その事務所はごくごく一般的な居住用のワンルームのマンションで、大きいのですがかなり古い建物でした。

 

そのため普段地震があったときには「いやに揺れるな」と発表された震度と体感との差をよく感じていたのですが、その日は立っていられないのに近いぐらい揺れました。

ほんとうにうすぼんやり、ガタガタと揺れる事務所の掛け時計が「14時45分」あたりを指していたのを覚えています。

 

思っていたよりかなり記憶が薄れていますね。たしか当初は「揺れの激しさ」はもちろんのこと、なにより「揺れの長さ」に驚いたように記憶しています。

激しい揺れは一番はじめの本震ではなく、2~3度目の余震のときだったような。

オフィス用のあの大きいコピー機や、袖机の引き出しが揺れのために部屋のなかを右へ左へ移動していました。

(幸いロッカーなどは上に突っ張り棒をしていたので倒れませんでした。ただ中のファイルはこぼれ落ちてきたような気がします)

 

 

東日本大震災当日 いつ帰宅をはじめたか

結局何度も揺れるので、地震のあとはろくに仕事になりませんでした。

個人の確定申告の時期なので、仕事は残っていましたがそれほどギリギリの状況ではなかったように記憶しています。

普段事務員のお姉さんと2人でいる事務所だった(所長先生は夕方ぐらいにちょろっと来る)のですが、我々はなぜかすぐには帰りませんでした。

 

いまだったら即帰るでしょうけど、たしかそのお姉さんと「こんな状況ではあるけれども定時前に帰るのはね」的な話をしたような気もしています。

経営者の方は有事の際「帰ってもいいよ」ぐらいでなく「仕事なんていいからなにがなんでも帰れ」と言ってあげましょう。日本人の社畜精神をなめてはいけません。

 

 

東日本大震災当日の帰り方

というわけで結局17時すぎにお姉さんと二人で事務所を出た記憶があります。

(お姉さんお姉さんと言っていますがお孫さんがいらっしゃる年齢の方です)

 

電車は完全にとまっていて、復旧のめどはまったく立っていませんでした。

駅の改札前には20~30人の人と、状況を説明する駅員さんがまばらながら固まりになっています。私とお姉さんは駅で別れお互い歩いて帰ることに。

 

歩いて帰る人はとても多く、道は混んでいましたが、私は当時通勤ののぼりくだりが逆で、要は「行きはくだり、帰りはのぼり」だったため電車も空いている方面に乗ることができていました。

なのでこの歩いて帰るときも大半の方々とは逆方面に歩くことになったのです。

私はその逆方向に歩く人達を見て「なんだか行軍のようだ」とぼんやり考えました。

 

車もものすごく混んでいましたね。道路沿いにずっと歩いていましたが、渋滞はかなりすごかったような気もしています。

(若干記憶があやふやなので、のちの情報と混同して改変してしまっているかもしれません)

 

 

帰っている途中でおにぎりを買って食べる

ちなみに私は横浜駅の方面に向かって歩いていたのですが、途中でコンビニに寄っておにぎりを書い、食べながら歩いていました。

たしか主要なコンビニの商品はほぼ売り切れていて、おばあちゃんがやっている「商店」と言ったほうがいいような小さなお店で買いました。

それでもかなり品薄状態で、ギリギリ買えたような状況でした。

(たしかおにぎりを2個買いました)

 

 

帰っている途中で高校のころ好きだった人に会う

そしてその食べながら歩いている最中、ものすごく偶然高校のころ好きだった人に会いました。

20歳の成人式前後に会って以来だったので、当時26歳で約6年ぶり。

(一回告白してふられずみ。私は23歳まで、好きになったらほぼ100%告白しほぼ100%ふられる系男子でした)

 

その子は当時横浜駅で働いていて、そこから自宅に帰るところだったらしく私とはすれ違うかたちになりました。

いま思えば夜で暗かったし人もあふれていたのにもかかわらずよく気づいたものだと思います。

「あれ、◯◯さん?」

持っていたおにぎりをとっさに隠してすっとんきょうな声を上げる私。

(歩きながら食べているのが恥ずかしかったのです)

 

そこで10分くらいは話したでしょうか。私はちょうど(?)その前月に約2年付き合った彼女にふられており、運命を一方的に気持ち悪く感じながらも前の彼女に未練たらたらだったので特に連絡先も交換せず別れました。

いえたしか「Mixiやってる? 友達(そういう機能あります?)になろうよ」と言われ、当時そういうものに手を出すのはかっこわりぃなどという頭の悪い考えに支配されていた私は「あ、いや、やってない」と答えて「じゃあまたどこかで」的な別れ方をしました。

 

なんでしょうねこの話。その子とは結局このあと会っていません。

 

 

結局3時間半ぐらいかけて帰る

たしか結局3時間半ぐらいかけて帰ったような気がしています。

当日はいつ何回かけても携帯電話がつながりませんでした。

いまのようにSNSもやっておらず、災害用伝言板サービスを使うなどの知識もなかったので、誰ともつながることができません。

 

私は家の近くのコンビニにある公衆電話に行くと、2人ほど待つだけで比較的すぐ電話することができました。

(後日映像で見ると、長い列をつくっている公衆電話も多かったです)

 

かけたのはまずその前月に別れた彼女の携帯電話。

「あ、もしもし?谷口です」

「無事か。無事ならいいんだ。じゃあ」

とごく簡単に状況確認だけして切りました。たしかこれが別れてからはじめての連絡だったんじゃないかと。

こういうのがかっこいいと思ってたんですよね。でもこのあと結局ものすごく粘着してしまい彼女には大変申し訳ないことをしたと謝りたい気持ちでいっぱいです。

 

それから両親にも電話し、安否を確認してその日は帰宅しました。

 

 

 

 

東日本大震災の翌日以降

たしか翌日も電車にはかなり影響が出ていたように思います。

翌日ぐらいまではとまってなかったっけ、と思っていま少し検索しましたが間引き運転ぐらいだったようですね。このあたりでも薄れてしまっていることを感じます。

 

 

いろいろ起きすぎた2011年

2011年は政治や自然災害など、とにかくいろいろなことが世界規模で起きたというのが私の印象です。

 

ジャンル問わず印象的なものだけ挙げても、

  • 1月 アラブの春
  • 2月 ニュージーランドの大地震
  • 3月 東日本大震災
  • 5月 ウサマ・ビンラディン殺害
  • 7月 ギリシャの事実上のデフォルト
  • 9月 日本で台風の甚大な被害
  • 10月 フィリピンの台風被害、タイの洪水
  • 12月 金正日総書記死去

と、ほかにもアメリカのハリケーンやテロ関係を含め本当にいろいろありすぎて、

「資本主義が終わるんじゃないか」

「世界が混沌としていく」

と漠然とした恐怖と不安にさいなまれたことをいまでも覚えています。

 

 

「税理士業界滅びよ」と思った2012年

で、私は翌年の2012年にその横浜の税理士事務所を退職するのですが、そのときはもう税理士になることをあきらめ、この業界から離れるつもりでした。

ということをそのまま話しつづけようと思ったのですがすでに相当量のボリュームになってしまったので一旦ここで打ち切ります。

(続きを書くことがあるかわかりませんが)

 

自分の備忘録の意味合いが強いので、あまり深刻な話にすると読む方が嫌になりそうにも思い、あえて軽くした部分があるのですが、もしご不快になられた方がいらっしゃいましたら謝罪いたします。申し訳ありません。

『ふるさと納税をするときに思い出してほしいたった1つのこと』という記事でも書きましたが、私は東日本大震災で受けた影響ってすごく大きくて、いまでもその影響は自分のなかに残っていると思っています。

(量としてはわずかなものになってしまっているのでしょうが)

 

世界がどうなるのかはだれにもわかりません。これからどうしたらいいのか、どうすべきなのか、ひとりひとりが考えることしかできません。

ただ日本で過ごす以上、時間が経ったからといって災害への備えを甘くしてしまうのは避けるべきです。

自粛しすぎてもいけないのですが、こういう機会にきちんと思い出して、自分が背筋を伸ばして生きているか問いかけ直したいと改めて思いました。

 

 

 

 

 

◇ 谷口孔陛税理士事務所のホームページはこちら! https://kh-tax.com

 

 

 

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読んでくださってありがとうございました

 

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