選挙で棄権して意味はあるのか? 「誰に投票すればいいかわからない」ときの意思表示の方法

 

こんにちは。めがね税理士の谷口(@khtax16)です。

 

「選挙がはじまるぞおおお!!(ぷおお~ぷおお~(ほら貝の音))」

 

と、いうようなことになったとき、私の場合、

「誰に投票すればいいのかわかんない」

「おれ一人行かなくてもなんにも変わらないよ」

「誰も支持してないから、選挙に行かないことでその意思を示す」

と、自分のなかの弱い部分が出てきて選挙に行きたくなくなることがあります。

 

しかし私個人の考えとしては、「それでも選挙に行くべき」と思っています。

 

そして、そういうときに取れる選択肢として「棄権(きけん)」というものがあるのですが、

  • なぜ選挙に行くべきなのか
  • 棄権って? 棄権のやりかた
  • 棄権に意味があるのか?

について、若い世代の方に向けて、私の考えを含めてまとめてみました。

 

「投票先がない!」「投票すべき人が見当たらない」選挙のそんな悩みに

冒頭では自分の考えとして書きましたが、先日Twitterかなにかでも、

「『投票する先がない』という意思表示として、選挙に行かないというのはどうだろう」

という投稿を見かけることがありました。

 

気持ちはすごくわかるのですが、「投票したいと思える人・政党がない」というときに 最も取ってはいけない選択肢が「選挙に行かないこと」、だと私は考えています。

 

 

どうして「選挙に行かない」ではダメなの?

なんで「選挙に行かない」がダメなのかを、2人の人間でたとえてみます。

 

↓ 1人は「政治のことなんてキョーミないよ」というパーリピーポーのAさん

 

↓ もう1人は「誰に投票していいかわからない…」と悩んでいるBさん

 

この2人が、結果的に今回の投票に行かなかったとします。

 

そうすると、この2人は同じ行動をしている ことになってしまうのです。

 

これがたとえ、

  • Aさんはなんにも考えずに投票に行かなかった
  • Bさんは悩んだ結果、自分なりの意思表示として投票に行かなかった

という違いがあるとしても、Bさんのその苦悩は、ほかの人には伝わりません

 

それがたとえ「Bさんなりの意思表示」だとしても、そう汲み取ってくれる人はどこにもいないのです。

 

誰かの心のなかを見ることができる人はいませんので、Bさんは「政治に興味のない一人」として片付けられてしまいます。

 

「政治に興味のない一人」になって何が悪いの?

「まあ、じゃあ、そう判断されたっていいよ」

とBさんがあきらめて言ったとします。

 

冒頭にも書いたように、この記事は若い世代の方向けに書いているのですが、そうするとどうなるのでしょうか。

 

「若い世代はどうせ投票しないし、考慮する必要はなさそうだ」

と考える政治家の方が出てくる可能性がある、ということは言えるでしょう。

 

結局のところ法案を提出したり、通したりするのは政治家の方々です。

その方達が若い世代のことを考えなくなると、人数が多く投票率も高い高齢者の方々のことを重視した政策が出るのは自然なことといえます。

 

つまり「投票に行かない」ということは、「自分たちの世代が軽視されても文句を言いません」という意思表示をしているのと同じことなのではないか、というのが私の考えです。

(よく言われることではあります)

 

 

意思表示のひとつである「棄権」

じゃあ悩んだけれど、「投票したいと思える人・政党がない」という人はどうしたらいいのでしょうか?

 

そんな方の選択肢のひとつに「棄権」があります

 

棄権とは? 棄権の方法はとっても簡単

「棄権」というのは、自分の持っている投票する権利を放棄する、という実際に認められている意思表示の方法です。

 

棄権のしかたはとっても簡単で、

  1. 投票所に行く
  2. 投票の用紙をもらう
  3. 誰の名前も書かずに、白紙のまま投票箱に入れる

で終わりです。

 

投票所に行くときは「選挙のお知らせ」も忘れずに持っていきましょう!

また、「期日前投票」といって、投票の日の前に行くこともできるので、当日時間のない方はうまく活用しましょう。

(当日の投票所とは別の場所であることが多いのでご注意を!)

 

 

棄権って実際どうなの? 棄権の意味・効果(私の考え)

というのが棄権の説明なのですが、

「じゃあまあしょうがないから棄権するか」

と思った方のために、実際自分が棄権してみたどうだったのか、という感想も述べておきます。

 

実は私、20歳で選挙権を得てからというもの(おじさんのときは20歳だったんだよ若者よ)、正確ではありませんが 5~6年ものあいだ選挙があるたびに棄権 しつづけていました。

 

「投票に行かない」という選択肢は自分の中では無く、かといって「投票する相手がいないんだよ」というせめてもの意思表示をするためにそうしていたのですが、

「じゃあ棄権に意味はあったのか? 何か効果はあったのか?」

と自分に問いかけると、

「棄権しても世の中にプラスの影響は与えられなかった」

と、感じたというのが正直な気持ちです。

 

棄権の数なんてほとんど報道されない

選挙後、「今回は棄権がこんなにありました!」みたいなことがニュースになることはほぼありません。

私が見ていないだけかもしれませんが、少なくとも「投票に行かなかった人が今回はこれぐらいいました」という話題のほうがよっぽど目にするのではないでしょうか。

 

また、政治家の方が「棄権された方がこんなにいる。私はそういった方たちにこそ信任されるようにならなくては」と奮起した、みたいな話も私は聞いたことがありません。

 

もしいたとしても、その方がそれ以後棄権した方を意識しつづけてくれるかというと、実際のところ「棄権した方」より「投票してくれた方・応援してくれた方」のほうを断然重視するでしょう。

それは人間としてごくあたり前の心理ですし、棄権した人にそれを責める権利もありません。

 

これを機に検索した結果、「棄権は最有力候補に投票することと同じ」という記事も見られました。

 

そうしたところを踏まえれば、結局のところ、われわれが意思表示をするためには「誰かに投票するしかない」というのが、棄権しつづけた私の実感です。

 

 

「誰に投票すればいいのかわからないって言ってんじゃん」

結局回り回って「だから誰に投票すればいいのかわからないって言ってんじゃん」という話に戻ってしまうのですが、

  • 投票しないのもダメ
  • 棄権も大して効果がない

とすれば、われわれは「わからなくてもとにかく誰かに投票するしかない」のです。

 

本当かどうか知りませんが「若者はテキトーに投票するだけでも意味がある」という論調も目にしました。

たしかに、若者がとにもかくにも投票に行くことで、結果がどうであれ事前に予想されていた数字が狂うことは脅威になり得るでしょう。

 

上にも書いたように、「自分たちの世代が軽視されても文句を言いません」と政治家の方に思われてしまっては、改善はまったく期待できません。

今の時代では、ごはんを食べるために何かの職につく人が大多数です。

政治家だって例外ではありません。

そのことに対して「政治家はもっと高潔であるべきだ」という理想を論じるよりは、「そういうもの」と考えて「じゃあどうしたら少しでも改善される可能性を増やせるのか」を自分に問うことのほうが大切ではないでしょうか。

 

そしてその「改善される可能性を増やす」ためには、わからなくても、消去法しかなくても、「まだこの人はマシかな」と思える人に投票するしかないのです。

 

それすらいないのであれば、自分が政治家になるほかはありません。

ビジネスも同じですよね。自分が望むサービスがないのであれば、自分でつくるしかない。

(政治は数がものを言うので、サービスをつくるよりもハードルは高いでしょうが)

 

間違えてもいいんです。生きていれば間違えることなんていくらでもある。なのになんでたかだか投票を間違えたらいけないのでしょうか。

なんとなくでも、間違えてもいいから、とにかく誰かに投票してみることからはじめましょう。

 

 

 

まとめ 選挙の棄権とその効果について

というわけで、

  • 「投票に行かない」という意思表示は無力
  • 棄権のやりかたと、棄権もあまり意味がないという実感
  • とにかく誰かに投票するしかない

という内容をまとめました。

 

ちなみに「投票する相手がいない」という意思表示のため、署名を集めている方もいらっしゃいました(たしかweb上で)。

効果がどれほどかはさておき、そういった活動も意味があるものだと思います。

 

なかなか難しい問題ですが、難しいのは人生も同じ。

悩みながら、何かしらの行動をして、自分の意思を社会に伝えていきましょう。

 

 

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<余談>

ところで、当記事を投稿したのは2017年10月24日。

実はその2日前の10月22日には、第48回衆議院議員総選挙がありました。

 

つまり選挙のあとにこんな記事を書いているわけですが、

「なんでこんな中途半端なタイミングで?」

と思われる方のために申し添えますと、アップロードを忘れていました きっと選挙後だからこそ伝わるものがあるはずと思ったからです!

 

政治的な話は避けていましたが、「どの政党に投票すべきか」ということよりも、一時期棄権をしつづけたあの頃の自分に向けて書いてみました。

あの頃の私は、投票所に行き、「投票用紙をもらうも鉛筆に一切触れず、その場で二つ折りにして投票箱に投入する自分かっこいい」という完全に誤った自己陶酔に溺れていました。

もうゴボゴボでした。窒息しろ。

いまもわからないままですけれど、とりあえず投票はするようになったので、誰か一人に届けばいいなあと。

いまもわからないなりに考えて、行動しています。

 

ぷおお~ぷおお~(悲しみのほら貝)

 

 

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