小説「名人伝」2021年魔改造版【前編】

 

 

TOKYO の片隅にひそむノリマサという35歳の男が、ある日スマホを片手に立ち上がった。

 

「世界一のストツープレイヤーに、おれはなる!」

 

はたで寝そべり、テレビを見ていた妻は驚きせんべいをぱりりと噛み砕いた。しかし仕事のストレスで現実逃避しているだけだろうと引き続き熱心にせんべいを食む。

「ストツー」というのは、「ストリートファインディングツーリズム」という格闘ゲームである。夫が最近熱中しているのは知っていた。

 

ストツーといえば、YouTuber のタモキンを避けては語れぬ。

彼がストツーをいかにも楽しげに行う動画をアップしたことでかのゲームの人気に激烈な火が着いた。プロゲーマーでもあるタモキンは、ゲームの腕も一級品で、天下第一のストツーリストといってよかろう。

 

ストツーは30にも及ぶキャラクターの中から、己が操作する人物を選び、相手と1対1で技を競い合うゲームである。

常人なら16コンボ、殴る蹴る己の気を放出する、と息をつかせぬ連打を浴びせるだけで喝采が湧くところ、タモキンは試合中坐禅を組み、半眼で空(くう)を見やりつつ、機をつかむやたったの2秒操作しただけで38コンボを叩き出し、相手を瞬殺する動画をアップしたことでその名声を確固たるものにした。

勝利の歓びを表に出さず、空(くう)をとらえたまま「感謝これあるのみ」というのがそのときのタモキンの言である。

 

ノリマサはタモキンの過去動画を見るや、即日職場に有給休暇の申請をして(承認されたとはいってない)タモキンのもとを訪れ、雨の日も風の日も弟子にしてくれろと懇願した。

最初は門前払いとしていたタモキンも、このオンライン時代に足繁く通うノリマサの覚悟に打たれ、また「どうせおれの厳しい修行にはついてこれまい」といった楽観視もあり、これを肯(うけが)った。

 

タモキンは新入りの門人に、まず「瞬きせざること」を学べと命じた。

「えっ、瞬きしちゃダメなんすか。なんか目ぇ乾いちゃいません? おれドライアイなんすよ」

へらへらとしてすなおに従わぬノリマサに、貴様が常識にとらわれるなら、なるほど常人の域は出ぬわけであろう、去れ、と師タモキンは応じた。

「やだなあウソっすよ。瞬きしなけりゃいいんでしょ、ちょっと練習してきますわ!」

 

ノリマサは勢いを得て家に帰り、妻が所有するマンションのひとつを訪れた。

妻の実家は土地持ちである。マンションは駅から近く、なかなかに豪奢で、入室希望者は引きも切らぬ。戸数も多いため、マンションの出入りは頻(ひん)である。マンションのロビーには自動ドアがある。これに可能なかぎり顔を近づけ、開いたときにちょうどまつげが接触する距離にノリマサは佇んだ。

眼球と触れるか触れぬかの距離で自動ドアが忙しく行き交うのを、じっと瞬かずに見つめていようという工夫である。

 

理由を知らない妻は大いに驚き、憤慨した。

「やめろ。こんな不審者がロビーに常駐してたら入居してる方々がおびえんだろが」

 

己の野心に理解を示さぬ妻に対し、ノリマサは一喝を加えたが、普通にしばかれて家に連れ戻された。

では警備員の格好をしていればよいだろう、と通販で警備員の服装を妻のカードにより購入したノリマサは、翌日に届いた警備員の服を着て家を飛び出した。

なに仕事? ノリマサは職場に辞めると告げずして仕事を辞めることのできる男である。

欠勤が続いたためクビになっただけなのだが、結局のところ、「己の中での<事象のとらまえ方>が重要なのだ」ということを知っている男ノリマサは、己の夢のためにすべてを捧げた。

 

来る日も来る日も彼はこのおかしな格好で、入居者が出ていくときには「いってらっしゃーい!」、入居者が帰ってきたときは「おかえりなさーい!」と瞬きせざるまま叫んだ。

その目のかっぴらき具合たるや正気の人間とは思われず、近所のこどもは「妖怪いってらっしゃいおじさん」と名付けている。

 

この厳しい修練が実を結び、2年ののちには、自動ドアが何度まつげをかすめても、絶えて瞬くことがなくなった。

トラックが横を通り埃を巻き上げようが、ゲームの画面が激しく明滅しようが、彼は決して目をパチつかせない。

彼のまぶたは最早それを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡しているときでも、ノリマサの目はクワッと大きく見開かれたままである。

 

意識も鋭敏となり、いまではただ外出か否かのみならず、ゴミ出しのときは「ゴミ出しお気をつけてーい!」、買い物のときは「お買い得品が見つかりますよーぅに!」と気配で用途を嗅ぎ分けることが可能となり、そのうち慣れるかと思った住人を一層気持ち悪がらせている。

この境地に達して彼はようやく自信を得て、妖怪の地位をなげうち師のタモキンにこれを告げた。

 

タモキンは一瞬「こいつ誰だっけ」という顔をしたあと、威儀を正し、のたまう。

瞬かざるのみでは、まだストツー道の入り口に踏み入ったに過ぎぬ。次には、「見ること」を学べ。

視覚を極限まで磨き、小を見ること大のごとく、スギ花粉を見ることゾウさんのごとくなったならば、また報告に来るがよいと。

 

「おまかせください!」

 

応じたノリマサは再び家に戻り、秘蔵のフォルダからエロ画像をひとつ抜き出すと、可能なかぎり小さくしてパソコンの壁紙に設定した。

お気に入りでかつて何度もお世話になった半裸のセクシーお姉さんは、いまやごま粒としか見えぬ。そうしてそれを終日睨み暮らすことにした。

 

毎日毎日、彼はディスプレイの中のごま粒セクシーお姉さんを眺める。

 

はじめ、もちろんそれはひと粒のごまに過ぎない。2~3日経っても依然としてごまである。

ところが、10日あまり過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら髪の毛と肢体の境目ぐらいは浮かび上がってきたように思われる。

あるいは行き場のない性欲が見せた幻像かもしれぬ。しかし、3カ月を過ぎようというころには、わずかにお姉さんの胸部のふくらみが見えてきたではないか。

 

ノリマサ所有のパソコンでは、音声としてゲーム実況チャンネルを垂れ流しており、お気に入りのいかがわしいゲームのキャンペーン情報が否応なく耳に入る。

修練をはじめた秋には紅葉まつりキャンペーンが開始され、冬の「推しキャラクターと一緒にこたつ入ろう」イベントに変わり、春のお花見キャンペーンが来たかと思えば、毎年楽しみにしていた夏の新作水着イラスト開放イベントも訪れた。

普段のノリマサがこの情報を見逃せば血の涙を流すところ、それでも高い集中力で目を移さず、ディスプレイの中心に鎮座するごま粒エロ画像を見つづけ、早くも3年の月日が流れた。

 

ノリマサはある日、ふと、お姉さんが等身大のナイスバディに見えていることに気がついた。

しめたとノリマサは膝を打ち、表へ出る。

 

彼は我が目を疑った。

 

人は塔のようであった。道ゆく車はクジラのようであり、あたりのマンションは巨大な山であった。

そしてまた、3年ものエロ画像との対峙のすえに、己がいつしか性欲を超越していたことにも気がついた。

家に戻り、呼吸を整えて合掌をすると、お世話になったエロ画像に深く一礼をし、いきりたつ息子を瞬速でひと撫でし精を吐き出しておいた。

後処理を終え、おだやかな気持ちでテレビの前のコントローラーに手を添える。修行の前は最高で30コンボを達成したことがあるノリマサは、何に心を煩わせることもなく、息をするような自然さで88コンボを叩き出した。

 

ノリマサは早速師のもとに赴いてこれを報告する。

師タモキンは一瞬のキョトン顔ののち、喜びがあふれて踊るように足を踏み鳴らし、はじめて「でかした!」と吼えるようにほめた。

そうして、ただちにストツーの奥義秘伝をあますところなくノリマサに授けはじめる。

 

ストツーのコントローラーは、ゲームセンターにあるような専用のものを使うのが通常である。

しかし師タモキンは、まずスマホで専用コントローラーと同等のことができるようになれと命じた。

スマホでできるようになれば、常在戦場、いつでも偉業を為せるわけであろう。

これまでであればなんらかの反論をしたかもしれぬノリマサも、己の尋常ではあり得ぬ上達ぶりを実感したいまでは賢者のごときうやうやしさでこう答える。

 

「師の仰せのままに」

 

目の基礎訓練に5年もかけた甲斐があって、ノリマサの腕前の上達は、驚くほど速い。

 

奥義伝授がはじまって10日後のこと、ノリマサは、料理をしながら片手間のスマホの操作で50コンボを生み出すことが可能となった。

20日ののち、水を一杯に溜めたコップを頭のうえにのせ、そのまま85コンボを踊るように繰り出したときは、その水に一波のゆらぎもない。

ひと月ののち、水を頭にのせたうえ、さらに目のあいておらぬひょっとこ面をかぶせられ、心眼をもって操作を命じられたときも、148コンボを川のおもてを花びらが流れてゆくように一片の淀みなく実現せしめた。

師タモキンはこっそりその様子を録画、『弟子がひょっとこのお面つけて珍妙な修行をしてる件についてwww』という動画をアップし、プチバズりしたことで「よしっ!」と叫んだ。

 

2カ月後、たまたま家に帰って妻から「はよ働けこの無職が!」とえらいどやされたノリマサは、なんの解決にもならぬのだが妻をおどしてやろうとほくそ笑んだ。

ツバを飛ばして怒声を吐く妻の眼前で41コンボを2連続で放ちつつ、10コンボごとにちらちらスマホの画面を向けると同時にドヤ顔を見せつける。

しかし、それらを見せつけられた妻は一向に気づかず、やむことなく夫の無職をののしりつづけた。

けだし、ノリマサの至芸ともいうべき操作スピードとドヤ顔の際のあごのしゃくれ具合は、実にこの域にまで達していたのである。

 

「もはや師から学び取るべきもの無し」と感じたノリマサは、ある日、ふとよからぬ考えを起こした。

 

いまおれがストツーの頂点に立って燦然と輝くにあたり、邪魔となるものは師のタモキンのみなのではないか。

であるならば、あらゆる手を使い、師を排除してしまえばよいではないか、と。

 

多忙な折、Twitter にて「きょうはひさびさの休みっすぅ~」とつぶやいたタモキンのアカウントを見るや、ノリマサは前に「いつでもきていいからね」と渡されていた合鍵を手にタモキンの自宅へ向かう。

パジャマがわりのスウェット姿で鼻をほじりつつ、ストツーを片手間でこなす師の目の前に「わっ」と叫んで飛び出し、師を驚かしながら試合に乱入した。

有事を察し、瞬時にキリリとした顔と精神を取り戻したタモキンは、突如としてはじまった試合にも動じずかたわらのティッシュで鼻くそを拭きノリマサの繰り出す技に応じてゆく。

 

ノリマサが拳を放てば、タモキンもこれに応ずる。

タモキンが蹴りを放てば、ノリマサもまたまったくの遅れなく蹴りで相殺する。

 

互いの体力ゲージが1ミリたりとも減らぬのは、両人の技が神(しん)に入っていたからであろう。

 

ノリマサが禁忌たる「相手のコントローラーを勝手に操作して邪魔する」という小学生なら出禁にされても文句を言えぬ技を繰り出したとき、タモキンは手元にあったティッシュでノリマサの顔を覆ってわさわさしながらなぜか中国拳法っぽいポーズを決めた。

 

画面からタイムアップの音声が流れたのは、そのときである。

 

息を切らしながらその音を聞いたとき、ノリマサの心に、成功したならば決して生じなかったに違いない「恥」の観念が突如芽生えた。

おれは、大恩ある師に、なんという恥ずかしい行いを。

逆に、成功したならば生まれたであろう「そのティッシュ、さっき鼻くそ拭いてなかった?」という疑問もまた、その恥ずかしさに埋もれついぞ芽を出すことはなかった。

またタモキンのほうでは、突然の危機をみごと乗り越えた己の技量に対する満足が心を占め、またとっさに出てきた中国拳法っぽいポーズが猛烈に恥ずかしくなってきたため、敵に対する憎しみをすっかり忘れてしまった。

 

これまでの生涯で出色の出来といえる勝負を終え、肩で息をするふたりは、ふとお互いを見つめ合うと、どちらからともなく抱き合った。しばし、ふたりは美しい師弟愛の涙にかきくれる。

(このできごとを、「ふつうここで抱き合ったり泣いたりする?」と今日の道義観をもって見るのは当たらぬ。とある巨大掲示板でちょっと見当はずれなことを書き込むと「半年ROMってろ」と叱責され、また別のところでは「逝ってヨシ」「日本語でおk」「オマエモナー」といった罵詈雑言が飛び交う、すべてそのような悪しき時代の話である)

 

さて、抱き合いながら涙にくれるタモキンではあったが、一方で弟子が再びこのような企みをしては自分の身が危ないと、ノリマサに新しい目標を与えて気をそらそうと考えた。

彼はこの危険な弟子に向かい、言った。

 

もはや、おまえには私のすべてを伝えた。

おまえがもしこれ以上この道を極めたいと望むなら、西へ行き、ニワカ乙山の頂きにいるアマバエ老師のもとをたずねよ。

アマバエ老師は語彙力なくなっちゃうほどとにかくめっちゃすごい人で、老師の技に比べれば、我々のストツーのごときはほとんど児戯に類する。

いまのお前の師になり得るのは、アマバエ老師以外には存在しない。

 

ノリマサは師タモキンのその言葉を聞き、すぐに西に向かって旅立つのであった――

 

第一部 完

 

 

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<あとがき>

だいぶ長くなってきたし、だいたい半分ぐらいなので一旦切りました。

私、中島敦さんのこの『名人伝』が大好きで、いつ読んでも笑っちゃうんですが、文章自体が小難しいのでいろいろいじって現代風の小説にしてみました。

(著作権は切れていますが、万が一、まかりまちがって関係者の方がご覧になりましたら頭を地面にこすりつけてお詫び申し上げます。『名人伝』がお好きな方もごめんなさい)

 

私、ブログで書く小説をほとんど完結させたことがないのですが、今回はほぼ書き終えてるので大丈夫です。ただ、第二部は作品の性質上、ギャグ要素がかなり減ります(めちゃくちゃに創作しようか迷ったんですが、『名人伝』のおもしろさを伝えたいのが主目的なのでやめました)。

また別作品で、『弟子』は笑うタイプの作品ではないんですが最高です。もちろん有名な『山月記』も好き。みんなで読もう中島敦!

 

『名人伝』は青空文庫で見られます!

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