こんにちは。妻のことをちょくちょくネタにして怒られるめがね税理士の谷口(@khtax16)です。
私はブログに『妻の話』などというカテゴリーをつくってしまうぐらいには妻のことが好きだし、妻のことを「世界一かわいい」と公言しています。
この言葉、ブログで好き勝手書く分にはいいのですが、これをいじられると大変気恥ずかしくなります。
しかし気恥ずかしくなるものの、私は本気で思ってもいるのであります。
「うちの妻は世界一かわいい」と。
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なんでこんなことをわざわざ言うのかというと、過去のブログで2回ほど書いていますが思春期ぐらいからつづく私の信念のひとつに「そのとき好きな人のことを世界一かわいいと言う」というものがあります。
で、「実際そんなにかわいいの?」と言われると、まあ実際のところ「客観的に見て世界一」なんてことはまずありません。
これは妻ではなく、10年近く前におつきあいしていた恋人の話ですが、同じような感じで、
友「彼女できたって? かわいいの?」
自分「世界で一番かわいいよ」
と私が答えると、それを知っている友人は「写真見せてみ」といい私から携帯電話を取り上げ、写真をじろりと眺めると、
友「うん、30点ぐらいだね」
と偉そうに言われたことがあります。
「お前が30点だばかやろう!」と激怒した、ということもないのですが、ことほどさように私の「世界一かわいい」は「世界一の美人」を示すものではないのであります。
(妻本人からも「むだにハードルが上がるからまじでやめて」と怒られている)
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しかし、では、なぜ私が「妻が世界一の美人」というわけでもないのに「世界一かわいい」などというたわごとを弄するのかというと、私は私のなかで「きれい」と「かわいい」の定義を厳密に区別しているからであります。
こんな感じ。
きれい・美人という単語は、客観的に見て容姿が整っているものを指す(人によって評価が大きくは変わらない)
かわいいという単語は、外見だけではなくその人とのふだんのやりとりの際に生じる、心の底から湧き上がるいとおしい感情を指す(人によって評価が大きく変わる)
で、私にとって「かわいい」は、「事実1:感情9」でも成立するぐらい感情に寄っているものなのです。
なので、「妻より美人な女性」は世界にあふれております。
「妻は自分にとって世界一かわいい」などという話をしますと、「芸能人の○○よりかわいいなんてことはあり得ない」と言われるのですが、私にとってその○○さんは「妻よりも美人」であるのは間違いないとしても、それを理解してなお「自分にとっては妻のほうがかわいい」のです。
妻の人柄を理解し、いいところも悪いところも含めて好きであるから。
(少なくとも一定程度は理解しているつもりであるから)
そして妻も私のことをよく理解してくれているから。
同じしぐさをしても、好きな人とそれ以外の人では輝きがまったく異なるものでしょう。
ただそれにしても、と思われる方もいらっしゃるかもしれないので、あえて「世界一」という言葉をつける理由を2つ書いておきます。
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あえて「世界一かわいい」という理由1 己を洗脳せしめる
私は実際、人と話す場であえて自分の「かわいい」の定義を熱弁し、相手に押し付けるようなことはしません。
私はこのような「持論をだれかに押し通したい」という欲望を持ち合わせておらず、自分は自分の考えを築いておきつつその場の空気を圧倒的に優先するザ・日本人なので、こういう話をするときは「世界一かわいいと自分を洗脳することにしています」と答えることもあります。
私はみうらじゅんさんが好きなのですが、みうらじゅんさんといえば、
- マイブーム
- ゆるキャラ
- DT
といった言葉やブームを生み出した、独自のポジションを築き上げている方であります。
結構前に読んだ『「ない仕事」の作り方』という本がめっぽう面白く、私のような税理士としては崖っぷちすれすれを歩いている人間には今後の指針となるような内容だったのですが、この中のひとつに「自分を洗脳する」という章があります。
みうらじゅんさんが好きなものは非常に変わっているのですが、ここで説明されているもののひとつに「天狗」があります。
(言わなくてもわかるでしょうけどこれですね)
これ、実際のところ、
最初から「天狗」に興味があったわけじゃなく、「なんで鼻が長いんだ?」と、子供のような疑問からマイブームが始まったのです。
(引用元:みうらじゅん 「ない仕事」の作り方)
ということらしいのです。
で、
鼻の長さを計るべく、旅にはメジャーを持参し、様々な天狗の面の中で「ロンゲスト・ノーズ・ナンバーワン!」を決めることに夢中になりました。
(引用元:みうらじゅん 「ない仕事」の作り方)
となぜか天狗の鼻の長さを計りはじめ、すっかり夢中になってしまったとのこと。
(なんだロンゲスト・ノーズ・ナンバーワンって)
とにかく何か「面白がれるポイント」を見つけ、「私はこれを絶対に好きになる」と自分を洗脳することで、最初特段好きではないものも大好きになってしまう。
ということは、「好きではないもの」からスタートしても大好きになれるのだから、「もともと好きなもの」ならそれ以上に好きになれるのではないでしょうか。
(恋愛結婚が主流の現代においては、多くのケースで最初に「好き」があったはずです)
ことほどさように(この言い回しマイブーム)洗脳の力、しかも自分が自分にかける洗脳の力は強いものなのです。
実際、常日頃自分のパートナーを「世界で一番かわいい」などとぬかしていると、妻が顔のエクササイズでひょっとこのような顔をしてもかわいいと思えるものです。
公言する必要はまったくないので、家庭内だけでもパートナーのことを「世界一かわいい」「世界一かっこいい」とまず自分に思い込ませてみてはいかがでしょうか。
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あえて「世界一かわいい」という理由2 パートナーを肯定したい
実際先ほどの洗脳説は、みうらじゅんさんの本を読んで言いはじめたのではなく、なんとなく「自分が感じていたこととつながっているな」と感じたから出しただけなのですが、私があえて「世界一かわいい」というのにはもうひとつ理由があります。
それは、「基本的にパートナーを全肯定したいから」というもの。
これははたしていいやりかたなのかわかりませんが、少なくとも自分が、「家庭内でぐらいはパートナーから肯定されたい」と思っているためにはじめたものです。
ひとつめの「洗脳」は、あえて口に出す必要はないのですが、これはあえて口に出してパートナーに直接伝えることで、「現在のパートナーを肯定しよう」という試みです。
(ちなみに洗脳も、口に出したほうが強まるように感じます)
実際、
「かわいくはないけど、いいやつだし自分に合ってる」
などとパートナーに対して思うよりも、
「かわいいうえにいい人で自分に合ってる。最高」
と思うほうが自分もとてもいい気持ちになります。
私は心から「かわいい」は感情に大きく左右されると思っているので、本当に「かわいいかわいい」と言っているとパートナーがますますかわいく見えてくるものです。
「存在そのものを肯定する」というのも、ゆるい心理学的な本なんかを読みますと大切と出てきますし(学術的な論拠があるのかはわかりませんが)、パートナーに対してもいい影響を与えるのでは、と期待もしています。
公言する必要はまったくありませんが、パートナーがいらっしゃる方はぜひ一度伝えてみることをおすすめします。
現在はいらっしゃらない方も、そのうち欲しいと思っている方であれば、もしできたときには遠慮会釈なく伝えてみるとよい関係が築けるかもしれません。
(うちがいい関係が築けているかは妻のみぞ知るので、ふわっとしたことしか言えませんが)
そしてもし妻にこのブログを見られた場合、
「下心みたいなもんがあんのかい」
と思われてしまうおそれがあることにいま気がつきました。
書いてしまったことをちょっと後悔しはじめています。
しかし最近またブログ書けない病が発症しているため、ちょっと気持ち的に書きやすい話から書いてみた所存です。
(何度か乗り越えてきた分、だいぶ向き合い方はわかってきてますが)
私は、夫婦というものは「継続するための努力をお互いにしなければ容易に崩壊するもの」という観念を持っているので、「継続するための努力のひとつ」という意味でもあえて伝えています。こう書くといやらしい。
今日明日の夜、日本の家庭のどこかで「かわいい」「かっこいい」がひとつでも増えればこれほど嬉しいことはありませんなあ!
(最後にキャラを見失う)
「役に立った!」「ニヤニヤした」など、もし「こいつ応援してやろうかな」という菩薩のごときお心が芽生えましたら、Amazonか楽天でお買い物するときに、下のリンクを踏んでからお買い物をしていただけますと私にジュース代なんぞが入ります。とても嬉しい。(なぜかメガネの検索画面が出てきますが無視してお好きなものを!)
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