妻から「あなたの妻は幻覚ではありませんか?」と言われ、深く困惑するも、かわいいからまあいいやと思った話

 

 

こんにちは。妻が大好きめがね税理士の谷口(@khtax16)です。

 

このあいだ、とあるお食事会があったんですよ。

 

私、妻の話をブログにちょいちょい書くじゃないですか。『妻の話』なんてカテゴリーをつくっちゃうぐらいには妻の話をしちゃうわけじゃないですか。

愛を語ってちょいちょい無視されてるわけじゃないですか。

その結果33歳にしてかまってちゃんであることが発覚したわけじゃないですか。

 

ちょうどブログがつないでくれた集まりだったのと、お食事会が人数的にも余裕ありそうだったんで言ってみたんですよ。

 

「妻も飲み会行ってみない?」

 

って。

 

ちょうどお世話になってる人たちがいらっしゃるし、ときどき冗談か本当かわからないんですけど「奥さんも連れてくれば?」って言ってもらえるので。

 

そしたら妻がこう言うわけですよ。

 

「えっ、でも私、知らない人の前だと話せないよ」

 

「大丈夫だよ無理してしゃべらなくて。妻はそのままの妻でいいんだ」

 

「うーんお酒も飲めないし」

 

「お酒とか飲む必要ないよ。妻はそこに存在していてくれるだけでいいんだ。人類の奇跡なんだ」

 

「うーん」

 

「よく『奥さんも連れてくれば』って言われるんですよ。いい機会じゃないですか」

 

「なんで?」

 

「えっ」

 

「なんで『奥さんも連れてくれば』って言われるの?」

 

「いや、なんでっていうか、僕がブログに書くから」

 

「…………」

 

「いや、ちがいますよ、別に変なこと書いてないですよ(妻は私のブログを見ていない)(はず)」

 

「…………」

 

「いや、なんか、『愛しの奥さん見てみたい』とか言われまして……」

 

と、冷たい視線にしどろもどろになっていた私に投げかけられたのが、タイトルの

 

 

「あなたの妻は幻覚なんじゃないですか??」

 

 

であります。

 

まさか。そんな。

 

私の愛しの妻は幻覚であったのか??

 

では、この目の前にいる妻(かわいい)は誰なのだ??

 

私のつくり出した幻覚?????

 

私、いま幻覚(かわいい)から「幻覚なんじゃないですか?」って諭されてるわけ?

 

そんなことある???????

 

でも「あなたの妻は幻覚なんじゃないですか?」だなんて飛び出るユーモアセンスも含めてかわいい。

 

まあ二次元のキャラクターを「俺の嫁」と言い張る御仁もいるわけだし、世の中にひとりぐらい幻覚の妻を愛するめがねがいても支障はあるまい。

 

という結論に達し、満足した私はひとりお食事会へと赴いたのでした。

 

 

--- ○-○ ---

 

 

と、ここまで書いてみて思ったのだが、かわいいとか書くからいけないのか。

 

かわいいって書く

妻のハードルが上がる

会ったとき「そこまでじゃないな」と思われる(こらっ!!)

それを想像して妻行きたくなくなる

 

という悪循環に陥るのだな。

 

ここで言う「かわいい」はあくまで谷口の主観・一意見にすぎないのであって、私は世界一かわいいと思っていますし公言もしますが実際はひとりの貴婦人である、ということをみなみなさまにはご理解いただきたくお願い申し上げたい次第でございます。

(反省の色なし)

 

ここから完全に余談(むしろ全編にわたり余談)で、思いのほか長文になってしまったため離脱しても大丈夫でございます。

 

昨日、打ち合わせを終えて(多分)正式に『企業実務』さんで、はじめての雑誌での1年程度の連載が決まりました。

また、今月から『企業実務サポートクラブ』さんという、こちらも1年弱ぐらいのwebでの連載がはじまります(こちらは昨日原稿を送付)。

来週、他誌さんでの単発の〆切があり、と、書く仕事が増えてきていて本当に嬉しく思っています。

 

特に『企業実務』さんのような「紙の雑誌に連載する」というのがことのほか嬉しく、これ、実は『〔執筆情報〕月刊「企業実務」さんにご依頼いただきました! 2017年11月号に掲載』ではじめて書かせていただいていたときから妻が念願していたものだったのです。

 

私は「少しでも妻の不安を減らしたい」という気持ちから、新しい仕事が決まるなどしたときはできるかぎり報告しているのですが、妻はそのとき必ず「すごいね」と言って自分のことのように喜び、ほめてくれます。

そしてそれ以上のこと、「この調子でもっと仕事とらなきゃね」とか、「その報酬で見合ってるの?」とかには決して口を出しません。

 

このスタンスが私にはとてもありがたいのですが、ただこのはじめて雑誌に執筆したときばかりは、

「このまま連載こい」

「次は連載だ」

と妙に妻が念願していました。

 

私には専門誌での連載というものがどうも想像できなかったので、「さすがに連載はないよ」と笑っていたのですが、まさか時間をかけてお話をいただけることになり、妻の眼力(あるいは先見の明)にちょっとびっくりしました。

 

なので連載の話を報告したときも、妻が誰より喜んでくれ、私は「妻が喜んでくれたこと」を何より嬉しく思いました。

 

--- ○-○ ---

 

ところで、私は結婚するまで、ちゃんとお付き合いをしたことがあるのは妻を含めて2人です。

(3日でふられたとか、1週間でふられたとかはまあある)

 

私は、妻の前の彼女と交際したときに税理士試験を受け始めました。

税理士試験というものは、平均7~8年はかかるという長い試験であり、まあ合格さえしてしまえば何年かかろうがそんなのは関係なくなりますが、10年以上をついやした結果、試験そのものをあきらめてしまう方もいらっしゃいます。

 

いま思えば当たり前のことなのですが、前の彼女は、私が税理士になることを信じてくれていたようには思えませんでした。

家も遠かったし、平日は遅くまで仕事、土日は勉強についやす私が愛想をつかされるのは当然だったのですが、私には「そのとき好きな人のことを『世界で一番かわいい』と言う」という謎のマイルールがあるので、そんな世界で一番かわいいと思っていた彼女に去られた悲しみ・痛みはなかなかのものでした。

(特に受験中の方は、経験ある方も多いかと思います)

 

一方で、そのふられたあと1年ぐらいして交際をはじめた妻は、つきあっていた当時から一貫して私のことを信じてくれていました。

私には

「もう税理士試験なんて受けない」

「もう税理士業界なんてやめてやる」

といじけてふてくされていた時期があったのですが、そのときも口を出すことなく、私の動向を見守っていてくれました。

 

結局いろいろ動いたあげく、面接をしてくれた不動産会社の社長さんに「君は何もかもが中途半端だ」と一喝を受けることで目が覚め、もう一度税理士を目指すことになるのですが、

「おれ、もう一度税理士目指すわ」

と安西先生に懺悔するミッチーのような心境で言ったときに、妻の喜びがささやかに表情に出たことで、「ああ、不安にさせてたんだな」という事実に気づくことができました。

(社長さんについてはちょろっと『「君は何もかもが中途半端だ」反骨心を力に変える』で書きました)

 

結婚するときの条件にも「税理士であること」を求めてこなかった妻や、妻のご両親にもものすごく感謝しました。

なんだか、税理士云々ではなく、私というひとりの人間のことを見て、評価し、信じてくれたように感じたからです。

 

ちょうど入籍した年に合格したのですが、そのときも「自分が合格して嬉しい」より「これで、ほんの少しは妻の自慢になるかな」というのが私の感じたことでした。

 

しかも合格したと思ったら一年ちょっとで、

「おれ、独立するわ」

とか言い出すし、妻からしたら「なんなのコイツもぉぉぉぉぉぉ」と思われてもおかしくないのですが、独立はさすがに二人のことなので最初ちょっと揉めたものの、少し時間が経ったら理解してくれました。

 

好き好んで不安定な身分になっているのかと疑われるほど、すごく迷惑ばかりかけてきたので、それでも最初から一貫して私という存在そのものを信じてくれていたのかな、ということを感じられる妻には感謝の念しかありません。

 

だから、雑誌に執筆したり、共著だけれども本を出版できたり、さらには雑誌に連載できたり、知らない人からでも「すごいね」と言ってもらえるようなことをほんの少しずつでも積み重ねていければ妻が喜んでくれるんじゃないか、というのが私の考えに通底している気が今回しました。

 

あんなグダグダだったときの自分さえ信じてくれた妻に報いたい。

妻が少しでも自慢できる夫でありたい。

 

というのを今回感じたので、内容のわりに長文になってしまいましたが書いてみました。

 

 

 

 

まあうちの妻、幻覚かもしれないんですけどね

 

 

 

 

 

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