ごきげんよう。めがね税理士の谷口(@khtax16)である。
突然だが、今日は私にとっての「神」の話をしようと思う。
いやいや「髪」の話ではない。
「神」の話だ。
そう怒らないで聞いてほしい。
こんな前置きから始まると、
「なんだやぶからぼうに」
「気でも触れたか」
「どうせ『メガネが私にとっての神』とか言い出すんだろう」
などと考えた諸君も中にはいるかもしれない。
それらのコメントは誠に浅はかな嘲り、邪推であると断ぜざるを得ない。
たしかに私はメガネを神のごとき、いや神が授けた至高の装具であると認識しているが、いかに「めがね税理士」を名乗る私とてそんなに年がら年中メガネのことを考えているわけではないのだ。
私にとっての「神」、それは、
フランシスコ・ザビエル、その人のことである。
目次
フランシスコ・ザビエルの偉業の話をしよう
なに、「やっぱり髪の話じゃないか」だと?
やめなさいそこを拡大するのは。
そうではなくあくまで「神」の話である。
彼が日本にキリスト教を広めにきた、というのは学校でも習う有名な話なので、ご存じの方も多いと思う。
何を隠そう、プロフィールにも書いているように私は生まれだけ長崎県。
長崎県といえば実際にキリスト教徒の方はとても多いのである。
私も長崎の祖父母の影響で、幼いころキリスト教(カトリック)の洗礼を受けているし、小学生の一時期は毎週日曜日に教会へも通っていた。
とはいえ、何分こどものころの話で信仰心はさほど育たなかったし、小学生の最後のほうからは教会にも行かなくなってしまった。
そんな私がザビエル神への信仰を取り戻したのは、つい先日のことである。
テレビでこんなことを言っているのを耳にした。
ザビエルはキリスト教だけでなくメガネも日本にもたらした
いや「神」じゃん。
私がこうして日々感謝の気持ちでメガネをかけていられるのも、
いまこうして「めがね税理士」という珍妙な肩書きを名乗れているのも、
すべて、すべてはザビエル神のおかげ………………
(熱い涙がそっと頬を流れる)
はい、あのー、以上です。
ところで、
- キリスト教 ⇒ 一神教(神さまはひとりだけ)
- 日本の神道(しんとう) ⇒ 多神教(いろんな神さまがいる)
というように、神さまがひとりかどうかというのはその宗教によって異なります。
(突然のですます調)
現代の日本の若者はちょっとでも「すごい」と思うものに会うと「神」と言い出す、というような風潮がありますが、それは日本にもともと多神教の素地があるからなんでしょうね。
八百万(やおよろず)の神、という言葉があるようになんにでも神さまにしてしまうぐらいですから、気軽に「神」などと言えるのでしょう。
これが一神教でしたら、恐れ多くてそこらのミュージシャンに「神」などということはできないのではないでしょうか。
(一神教の神は「絶対的な存在」のようです。感嘆で出すときの「OH MY GOD」も、あくまで「MY GOD(私の神)」であって、ほかの存在が神であるわけではなく自分の心のざわめきを神さまに報告しているだけ(いま適当に考えたので違ったらごめんなさい))
日本語の「神」の英訳を「God」にしてしまうと、まったく違う概念であるがゆえに、ときに誤解され対立さえ起こしてしまう。
だから「Kami」などの単語をつくって「まったく違うものだよ」ということを表すことが必要なのではないか、そんな意見もあるそうです。
あと砂漠などの過酷な環境だと一神教が生まれやすく、日本のような豊かな環境だと多神教が生まれやすい、という「環境の違いも大きい説」もあるそうです。おもしろいですね。
(「生まれやすい」か「育ちやすい」かは忘れました)
私はキリスト教の洗礼を受けたわりに神道の考え方が結構好きなので、本件の「神」も多神教的な神に位置づけております。
と、なんか怒られそうだったため浅い知識をつらつら並べて唐突に当記事を終えたいと思います。
めがね。
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