こんにちは。アキバメガネの谷口(@khtax16)です。
こんなご時世ですが、2020年4月1日に秋葉原へ事務所の移転をいたしました。
秋葉原といえば、かつては電気街としてパソコンを自作する方などの聖地でしたが、かなり前からオタク感のあふれる街になったイメージがあります。
そんなアキバに移転することとなった以上、わたくしもここは「オタクでござーい」感を出してセルフブランディングに付加していくべきなのであろう、とそんなことを考えつつ、同時にひとつの危惧がわたくしの頭(メガネの2つのレンズ)をよぎるのでございます。
それは、
私ごときがオタクを名乗っていいのか問題。
私マンガが好きなので、ここ1~2年で読んで面白かったもの(全巻購入ずみのもの)をざっと挙げると、
- ブルーピリオド
- BLUE GIANT(SUPREME含む)
- SHIORI EXPERIENCE
- 僕だけがいない街
- 鬼滅の刃
- ワールドトリガー
- BIRDMEN
- Pumpkin Scissors
- 7人のシェイクスピア NON SANZ DROICT
- ドリフターズ
- 異世界おじさん
- かぐや様は告らせたい
- 金剛寺さんは面倒臭い
- 富士山さんは思春期
- 荒ぶる季節の乙女どもよ。
- 私の少年
- きのう何食べた?
- 月曜日の友達
- 幻想ギネコクラシー
- さよならも言わずに
- 春の呪い(ブログ書いた)
- 恋は雨上がりのように(ブログ書いた)
- 放浪息子(読み直し)
- 青い花(読み直し)
- 羊のうた(読み直し)
みたいな感じです。
マンガぜんぜん詳しくない方からすれば、「ひえっ、めっちゃ読んどるやんけ」となるかもしれないし、めっちゃ詳しい方からすれば、「こんなレベルでオタクを名乗れると思うてか」となるんでないかと思います。
かように、「オタク」という言葉は、
・詳しくない方からは忌避の対象になる
・詳しい方からはマウント合戦の対象になる
といった傾向があるんではないかと愚推するわけであります。
目次
「オタクが出たぞぉぉぉ打ち首だぁぁぁ」時代
これは私の年代もある気がしまして、私はこれを書いている現在35歳、1985年生まれでして、この年代で「オタク」というものはかつて迫害の対象であった、気がしています(私は)。
いろいろな事件があり、その報道のされかたによる影響も色濃いのかなと思うのですが、
「オタクはさらし首じゃぁぁぁ!!」
ぐらいの勢いで「プププ」あるいは「うわっ」と思われる傾向はあったような気がします。
↓ 追われしのち、磔刑に処されるオタク(筆者)の図
愚考するに、私の時代のオタクは
- 「ははっ(●ッキー風)、ぼくはオタクだよ、それのなにが悪いんだ」と開き直る派
- 「いえいえ、私ごときがオタクなんて、めっそうもございませんで。。」と、己の好きなマンガを踏み絵として迫られ、心で泣きながら踏みにじる隠れキリシタン派
に分かれていたわけであります。
(筆者の偏見が多量に含まれております)
そんで私はバリバリの隠れキリシタン派でした。
隠れキリシタン派っていうか、必要以上に踏みにじって「へへっ、お役人さま、オタクなんてものぁ気持ちわるいでやんすねぇ!」と媚びを売る小悪党タイプでした。
それというのも、私は
- 黒髪
- メガネ
- 冴えない顔面
- 冴えない髪型
- 冴えない服装
と、オタクとしての外見をフルコンボで満たしていた (いる)ため、せめて中身は「いやいやオタクなんてものとは一切関係ありませんでございますよ」と距離を取りたかったのですね。
なので、まず、私の中に「オタクと思われること」への恐怖心がわりと冗談抜きで刻み込まれている、というのはあります。
自分ごときがオタクを名乗っていいのか問題
ただ、もういい年だしいつまでもビビッててもしょうがない、というか好きなマンガの話を人としたい、ということで、オンラインサロンである前田デザイン室に入ってからは、まわりがみなさんマンガとかゲームが好きな大人たち(最高)が多いため、比較的話に出せるようになりました。
まあ、
『「アンインストール」という言葉の意味さえ知らなかったあの頃のぼくら』
『伝説の樹の下で、ときめいたメモリアルをforeverしたけどwith youというよりはむしろlonely』
でブログにいかがわしいゲームやってた話を書いちゃったのもありますしね。
(あと異世界小説も書いちゃったわ。続きがんばります)
とはいえ、「まあオタクだと思われてもしかたない!」と思えるようになってきたその一方で、もうひとつの問題として浮上するのが
自分はオタクを名乗っていいレベルなのか問題
であります。
「名乗っていいレベルってなんだよ」とお思いの方もそこかしこにいらっしゃるんでしょうが、同時に一定の方には共感してもらえるんじゃないでしょうか。
上の隠れキリシタン問題で書いた「いえいえ、私ごときがオタクなんて、めっそうもございませんで。。」というのは本心でもありまして、「自分ごときの知識でオタクを名乗ってもいいのか?」と自分に問いかけざるを得ないのです。
私は「オタク」という言葉がかような認識をされ得る時代で思春期を過ごしてきたため、自他ともに認める「オタク」の方に対し、
- それでもオタクを自称できるほどの覚悟
- ひとつのものを、なりふりかまわず、純粋な「好き」という気持ちで突き詰めていけること
に対する敬意もまた持っています。
そのうえで己を省みたとき、オタクを自称できるほどのレベルに自分が達しているのか、という問いにはどうしても「NO」と答えざるを得ません。
なんせ踏み絵バッキバキに踏んでましたからね。
ということで、上の「迫害されたらどうしよう」という心配のほか、「自分ごときが名乗っていいのか」という恐れ多さも感じているのです。
話がまとまらないままの「おわりに」
なんか話が散らかったまま終わりにきましたが、まとめると、
- 「うわっオタクだっ」って思われ、迫害されたくないなあという気持ち
- 「自分ごときがオタクを名乗っていいのか」という恐れ多さ
の2つがあり、オタクを自称してよいのかと悩んでいる、という話でした。
実際のところ、家からの通いやすさと、「神田支部に戻るか」みたいな気持ちで秋葉原を選んだのですが、どうせ移転したなら「アキバ」をなんらか絡めてゆきたいのです。
(同日更新の『「肩書きはつけたら終わり」ではなく「つけてからがスタート」』で書いたように、私は肩書きを名乗るなら発信と結びつけないと意味がないと思っています)
メイド喫茶ぐらい行ったほうがいいのかなあ、と思いつつ、私は三次元の女性って妻しか興味がない(女性の友人もいますが友達として好きなんであって性別は無関係)ので、特段の興味が湧かず今に至ります。
アイドルも似た理由でどうも昔から興味が湧かない。
あとむっつりすけべだから「友人にふと現場を見られたら恥ずかしいお店」に入るのめちゃくちゃ抵抗あるんですよね。
わざわざいかがわしい雑誌を買うのに遠くの店に通ってたくらいですからね(『誰も来ない店に、いかがわしい本を買いに行く―』参照)。
まあなんのかんの言いつつ、私は正直自分のことをオタクであるとも、オタクでないとも思っていません。
現在進行系で言えるのは「マンガが好き」ぐらいのものであって、まあそれを淡々と発信していけば、結びつく人には自然に結びつくかもしれないからその程度でいいのかな、とも少し思いはじめています。
ゲームも昔大好きだったのですが、ピクミンやってて乗り物酔いみたいになった という悲しい記憶があり、3Dは私にはオーバーテクノロジーなのです。
友人とめちゃくちゃにやったゲームは
・マリオカート(スーパーファミコン)
・スマッシュブラザーズ(64)
です。あとFF(4~8まで)とかロマサガ(2と3)。ゲームに関しては懐古厨と揶揄されても甘受せざるを得ない。
アニメも話題になったものはなるべく目を通したいなと思ってるんですけど、アニメって仕事しながらほぼ見れないし、かといってちゃんと見ようと思うと30分✕12話はさすがにちょっと長すぎて、やっぱり好きなときに細切れで読めるマンガか映画を1本しっかり見るかになっちゃうんですよね。。
なんですぐ話が散らかるのか、自分を小一時間説教したい気持ちに駆られています。
あと特にオチが思いつかないので、もう一度お気に入りイラスト貼っておきます。
↓ 追われしのち、磔刑に処されるオタク(筆者)の図
いま気づいたけどひげ描き忘れてんじゃん。
まあこういうこともあるよね。
めがね。
あきばのめがね。
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